十回以上もかかった「ウェブ時代をゆく」のまとめもようやくこれでひと段落。
なんとか年内に、と思ってたがぎりぎりだった。
ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)
- 作者: 梅田望夫
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2007/11/06
- メディア: 新書
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「知的生産」の定義
五章で著者は梅棹忠夫の「知的生産」を引き「アウトプットすることが成果である」と言う。
そうでないものは「知的消費」だと。
自分にはそういうものを「生産」している、という感覚は全然なかった。
またそこまでのものを作れるか、というとどうか、とも思う。
ただでさえいろんな「作家や研究者」が知恵をこらしてつくった「書籍」。
それらを読んで、さらに何かを創る。
なまなかではない。
難しいからこそ知的生産なのか、などと思う。
色んな書物を通し、思考した結果をまた返す。
この作業は人類ある限り、永遠に続くのだろう。
まったく不思議な生物だな、と。
実名市場
それにしても「実名SNS」がビジネスで威力を発揮し始めている、というのはそれこそ「無限の(2.0的)ビジネスチャンスの到来」を予見する。
「紳士録」以上、「オリジナルのwebサイト」以下(わざわざサイト立てるほどでもないって位の)の「詳しいめ」の情報がそのうちドッとネット上に上がってくるだろう。
まさに「プラットフォーム化」して。
センスの良いサイトを見つけたら「ちょっとキミ、ウチのデザインやってみない?」とすぐにコンタクトできるわけだ。
コモデティと戦うこと。
六章ではgoogleの<執念ともいえる「情報共有・性善への挑戦」に軽くジェラシーを覚えつつ、この章のメインは自分のスキルの「日常化と戦え」ということだ。
「けものみち」*1でもそうだが「日常化」と戦わねばならないのは、オフィスワーカには宿命的なものがある。
特に今の時代、すぐに「より安い地域」に仕事はシフトする。
日本語圏は「言葉の壁」にずいぶん守られているようだが、それゆえむしろ危機感を持ったほうが良い。
英語圏での「仕事の置き換わり」は日本語圏の我われのそれを遥かに凌ぐスピードのようだ。(危)
「日常化」したとたん「より安く」「より若い」労働力へと入れ替わる。
「35歳から十年、が勝負」という著者のアドバイスはとても共感。
自分は残り一年だ。(大汗)
(最近の二十代はなんと幸せなことだろう。すべてこれからではないか。)
ジョナサン・コールトン、というプログラマ上がりのミュージシャンが「大もうけはしないけど、食べていける層」を作った、と紹介されている。
この出現も2.0ならでは。
とても示唆的な例であり、「構造化」という視点から見た「新しい存在」であろう。
終章
冒頭、司馬遼太郎の「アメリカ素描」をひき、「アメリカという国の存在」を
「決してそこへ移住はせぬにせよ、いつでもそこへゆけるという安心感」を
「人類の心」にもたらす存在、と紹介する。
自由のまさに「象徴」。
渡辺千賀さんの著書を思い出す。
またダンスをテーマにしたコミック「NY(ニューヨーク)バード(槇村さとる)」の一シーンを思い出す。
歌いこんでパワーもつけなさい
ブロードウェイへ上りたいなら…
もし
ダンスのテクニックが同じふたりだったら
より歌えるほうがオーディションに受かる
歌唱力が同じなら
演技のできるほうが受かる
演技力がどっこいなら
人間性のあるほうがパス
「それもどっこいだったら?」
ブロードウェイは
そういう世界だ
(第一巻P177-8)
「参入の機会」が平等であること。
機会均等、公平感、というのは特に経営とか、政治とかいう場面ではとてつもなく大切だ、ということをアメリカはその出自から知っているのだろう。
国民はそれで一応納得している。
自由競争社会の代表的存在として「最も重要な文化」なのだろう。
終わりに
「ウェブは自らを助くる者を助く」
終章。
構造化し、ムダをそぎ落とした梅田の言葉はこの言葉で締められている。
「流しそうめんのように」情報は山とあふれ、志向の合う仲間も簡単に見つけられる。
「ウェブ時代をゆく」でネット世界を「もう一つの地球」とまで比ゆした著者は、それがアメリカの「自由」にも似た「やる気次第で先が開けていく世界」だという。
必要なのはキミの発信だけだよ。
それなら悩むことはない。
行間からあふれ出る梅田望夫のメッセージ。
若者へ、届け!
*1:身に付けた専門性を活用しながらも(一つだけを追求するのではなく)状況に応じて柔軟かつ総合的に能力を生かす生き方