藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

ウェブ時代をゆく−備忘録3

十回以上もかかった「ウェブ時代をゆく」のまとめもようやくこれでひと段落。
なんとか年内に、と思ってたがぎりぎりだった。

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)

「知的生産」の定義


五章で著者は梅棹忠夫の「知的生産」を引き「アウトプットすることが成果である」と言う。
そうでないものは「知的消費」だと。


自分にはそういうものを「生産」している、という感覚は全然なかった。
またそこまでのものを作れるか、というとどうか、とも思う。

ただでさえいろんな「作家や研究者」が知恵をこらしてつくった「書籍」。
それらを読んで、さらに何かを創る。
なまなかではない。

難しいからこそ知的生産なのか、などと思う。
色んな書物を通し、思考した結果をまた返す。
この作業は人類ある限り、永遠に続くのだろう。
まったく不思議な生物だな、と。

実名市場

それにしても「実名SNS」がビジネスで威力を発揮し始めている、というのはそれこそ「無限の(2.0的)ビジネスチャンスの到来」を予見する。

「紳士録」以上、「オリジナルのwebサイト」以下(わざわざサイト立てるほどでもないって位の)の「詳しいめ」の情報がそのうちドッとネット上に上がってくるだろう。

まさに「プラットフォーム化」して。

センスの良いサイトを見つけたら「ちょっとキミ、ウチのデザインやってみない?」とすぐにコンタクトできるわけだ。

コモデティと戦うこと。


六章ではgoogleの<執念ともいえる「情報共有・性善への挑戦」に軽くジェラシーを覚えつつ、この章のメインは自分のスキルの「日常化と戦え」ということだ。


けものみち*1でもそうだが「日常化」と戦わねばならないのは、オフィスワーカには宿命的なものがある。
特に今の時代、すぐに「より安い地域」に仕事はシフトする。
日本語圏は「言葉の壁」にずいぶん守られているようだが、それゆえむしろ危機感を持ったほうが良い。


英語圏での「仕事の置き換わり」は日本語圏の我われのそれを遥かに凌ぐスピードのようだ。(危)


「日常化」したとたん「より安く」「より若い」労働力へと入れ替わる。

「35歳から十年、が勝負」という著者のアドバイスはとても共感。
自分は残り一年だ。(大汗)
(最近の二十代はなんと幸せなことだろう。すべてこれからではないか。)


ジョナサン・コールトン、というプログラマ上がりのミュージシャンが「大もうけはしないけど、食べていける層」を作った、と紹介されている。
この出現も2.0ならでは。
とても示唆的な例であり、「構造化」という視点から見た「新しい存在」であろう。

終章

冒頭、司馬遼太郎の「アメリカ素描」をひき、「アメリカという国の存在」を

「決してそこへ移住はせぬにせよ、いつでもそこへゆけるという安心感」を
「人類の心」にもたらす存在、と紹介する。

自由のまさに「象徴」。
渡辺千賀さんの著書を思い出す。

アメリカ人はたた80%が中流以下だが誰もが金持ちになれると信じている不思議な国なのです。・・・


またダンスをテーマにしたコミック「NY(ニューヨーク)バード(槇村さとる)」の一シーンを思い出す。

歌いこんでパワーもつけなさい


ブロードウェイへ上りたいなら…


もし
ダンスのテクニックが同じふたりだったら


より歌えるほうがオーディションに受かる
歌唱力が同じなら


演技のできるほうが受かる
演技力がどっこいなら


人間性のあるほうがパス


「それもどっこいだったら?」


そのふたりとも
ビバリーヒルズにでっかい家を建てられるよ


ブロードウェイは
そういう世界だ
(第一巻P177-8)

「参入の機会」が平等であること。


機会均等、公平感、というのは特に経営とか、政治とかいう場面ではとてつもなく大切だ、ということをアメリカはその出自から知っているのだろう。
国民はそれで一応納得している。
自由競争社会の代表的存在として「最も重要な文化」なのだろう。

終わりに

「ウェブは自らを助くる者を助く」


終章。
構造化し、ムダをそぎ落とした梅田の言葉はこの言葉で締められている。


流しそうめんのように」情報は山とあふれ、志向の合う仲間も簡単に見つけられる。


ウェブ時代をゆく」でネット世界を「もう一つの地球」とまで比ゆした著者は、それがアメリカの「自由」にも似た「やる気次第で先が開けていく世界」だという。

必要なのはキミの発信だけだよ。


それなら悩むことはない。


行間からあふれ出る梅田望夫のメッセージ。
若者へ、届け!

*1:身に付けた専門性を活用しながらも(一つだけを追求するのではなく)状況に応じて柔軟かつ総合的に能力を生かす生き方