藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

生産性のちがい

一番しっくりくる英語は'self motivated'か。


最近このことをよく考える。


「好きなこと」を手掛ける。
仕事でも、プライベートでも。
まあそうしていると「仕事と仕事以外」、というのは限りなく混じってくるものだろう。


自発と他発。
生産性はどのくらい違うだろうか、と考える。


いや。

生産性、なんてレベルじゃないかも。
他発だと「実現しない」ことって多くないか。


人に物を頼んでおいて、思い通りに仕上がってこない、なんてのはしょっ中ではないか。
つまりゼロ、になることも多いわけだ。


生産性どころでなく。
「あるか、ないか」という切実な結果にさえ繋がるのだ、と改め気付く。


頼んでから二週間経っても空転していたものが、別の人が取り掛かったら二時間で終わった、なんてよく聞く話だ。もちろん能力の違いもあるが。


自発で埋め尽くす

自発の気持ちは「好きだから」とか「奉仕の精神」とか「依頼に応える」強い動機、などから生まれる。


"self motivated"


社会で仕事をしている以上自分の「好きなことだけ」しかやらない、というのは少々困難だ。
組織を維持するための注意や、それこそ人からの依頼もあるじゃないか。


とそこまで考えて気づく。
そうか。


組織の仕事、だって人からの頼まれごと、だって結局その「組織全体」がある正しい方向に向いていれば、その中での「くたびれ仕事」だって喜んでやれるだろう。


「是が非でもやりたいこと」を実現するためなら、お茶汲みだってドブさらいだってへいちゃら。


ということは。


あぁ、あんまりやりたくないなァ。


という自分に気づいたときは、考え時。

そのグループか、その組織か、あるいはその会社がやろうとしていることに「共感できない」のか、あるいは「よく見えない」のだろう。


自分もむしろその辺りが「よく見えず」いろいろ義務感で動くことの方が多かった。


会社が生きる、という強烈な義務感だけで過ごしていた日々も多い。

仕事も、遊びも、勉強も、恋愛も。
自分の日常をすべて自発に変えてやる。


最近はそんなことをよく思う。


『お前がこれをやりたいのか?』
『やりたいことは何だ?』



トイレと寝るとき以外は、全部そう問いかけて。