藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

大人のシメシ、もその二


気に入らぬ。


昨日の防衛庁の最終答申。
全然善くなりそうな気がしない。


自分などがそんなことに、いちいち目くじら立てても仕方ないのだが。
どうにも後味が悪い。
何に後味が悪いのか。


というと「子供たちに」なんである。

人ゆえ


つくづく、人間は特殊な生き物だ。
というか生き物の中で唯一「カネ」というものを発明し、食欲や性欲以外の「煩悩」を持つ。
「生きるため」だけに行動するのではない。

娯楽とか、快楽とか、感情とか、権力とか、名誉とか、奉仕とか愛情とか。

そんな、高等だけれどはある意味「妙な」理屈を持っている。
その生物学的な進化はどこへ向かうのかは分からないが(多分「種の保存」とかかな)、ともかく「欲」といものに影響されやすい。


カネが欲しい。
名誉が欲しい。
女(男)が欲しい。
愛が欲しい。
健康が欲しい。
平和が欲しい。




とか「ねだりっ放し」である。

つねに「飢餓感」を持っているのが人間の特徴なのかも知れぬ。

コトのあと


で、そんな「煩悩のカタマリ」だから、いろんな「いけないこと」を我われはしてしまう。
ミスや違反をするから(機械でなく)人間だし、またそれを受け入れてあげるのも人間社会なのだろう。
コンピュータプログラムとは違うのである。


が。




そんなミスを犯す人間だからこそ「その後の対応」が最も大事なのではないか。
耐震偽装から始まる、あらゆる業界の偽装事件、汚職事件。


これは人間の性(さが)が起こす、ある種宿命的なものだ。
起きてしまったことには、「仕方がない」とも思う。


しかし。

しかし。


そのあと。
武士の「ハラきり」がいいとは思わないが、一つの明確なケジメである。

そう。
ケジメがつかぬ。


防衛省が、その発注の権限を利用して業者を相手に利権を欲しいままにした。
それは起こり得ることだ。


ただ、それに「どんなケジメをつけるか」というのは、国民とか、文化とか、マスコミとか、そんな人たちの話だと思う。


「より体制の強化を」と言って、具体策なく問題の先送りをする。


若手は思うだろう。
「ああ、あんなふうにノラクラやってればいいんだな」
「それが大人なんだな」


そう思われるのが嫌で、自分のような一市民が、こんな所で吼えている。
「ハラきり」せずに、なあなあで流してしまえる文化は絶対後世に伝えたくない。


そんな無責任野郎が増える社会は「品を欠く」。
街中で群れようとも、
電車内でハンバーガーを食べようとも、
地べたにセーラー服で座り込もうとも、


「責任感」は失ってはならない。
石川五右衛門のように最後は「釜ゆで上等!!」という覚悟は時代がどう変わっても持っていてほしいのだ。



卑怯な結末を許す文化だけは止めようではないか。