- 作者: 矢部正秋
- 出版社/メーカー: 成美堂出版
- 発売日: 2005/10/01
- メディア: 文庫
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第二章より。
私たちは日頃ものごとを考えていると漠然と感じている。だが、実は本当に考えてはいないのではないか。
「自意識がある」ということと、「考える」ということとは別だと思われる。(中略)
意識は、誘蛾灯に吸い込まれる蛾のように、現実に吸い込まれてしまうのである。
(p61より)
私たちの「考える」ということの三分類。
著者はメジャーのイチローと松井選手を引いて、実例を論じる。
?状況が支配可能か否かを見きわめる。
?支配可能な場合は、問題を解決するために最善をつくす。
?支配不能な場合は、あきらめて気にしない。
(p65より)
自分のコントロールできることと、「それ以外」を峻別するむ力量について、著者の孫引き。
自分に制御できること、てきないことを峻別する。
これができれば、少なくともあせりの感情からは解放される。
人は、制御できないことをコントロールしようとするから、心を乱す。字にするのは容易だが、きわめて難しい内面のコントロール作業を、イチロー選手と松井選手はさらりとこなす。
(p67)
支配できることと、「できないこと」は一見判別が難しい。
恋愛などもその証左か。
よくよく、俯瞰してみることは、結果自分の近道につながるのだ、と改め思う。
俯瞰する、ということは何も「完全に自分から離れる」ことではないようだ。
むしろ、自分も含め回りの関係者たちを「等分に見る」目を養うことではないか。
医者はどんな名医も家族は施術せぬという。
いかなる「少しの」感情、も自分の手元を狂わす。
現実に吸い込まれず。
常に自分が覚醒した状態で、しかも色眼鏡を通さず「自分と周囲を均等に」見る。
本当の思考とはこの辺りの出発点がなければ為せぬのではないか。
「思考の原点」とは、案外物静かな、派手でないシンとした心境の産物なのだろうと思う。
それは極めればこんな表現になる。
自分の力の範囲内にあるものは思想だけしかないことを完全に納得していたので、それだけで、他のもめごとに対するあらゆる執着を脱し得たからだ。
(方法序説 デカルト)
「「抽象的な助言は役に立たない。必要なのは具体策である。」(p84)
次は著者の言う「考えることは行動だ」という訓。
(つづく)