藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

(その四)思考を省エネするな


考えるとは「具体策を考える」ことだ、と著者は言う。

問題の指摘・批判は、必ず提案・解決策とワンセットでなければならないのだが、それができる人はほとんどいない。

「解決策を考えだすことこしが、自分の能力を開発するということ」。

そのプロセスを省略するのは、自らが向上するチャンスを逃すことである。(p77より)


『若い弁護士には、「相談に来るときには、少なくとも三つのオプションをもってくるように」といっている』


これはいい。

明日から、自分たちの職場にも、家庭にも役立つ金言である。


前作から著者はいう。

問題が深刻であればあるほど、新しいアイディア、異質の視点が求められる。
ときには極論さえ必要である。一つや二つではなく、三つものオプションを考えだすとなると、過去から決別した新しい発想が出てくるものである。
これこそが考え抜くということである。


考え抜けば、現場に朝から晩まで身を置いている担当者だからこそ見えてくる現実があるはずである。
現実を凝視し続ければ、必ず突破口はある。
少なくとも、現状打破するいくつかの策は浮かび上がってくるだろう。
ないはずはないのである。日々状況は変わっている。
「ない」というのは、実は「考えていない」というにすぎない。

自分も以前感動した「オプション思考」という考え方。

『選択肢など無限にある』という著者の提言は、まったく実務において正しい。


選択肢の見つけ方


極論をも考えることの実例。
「上司と上手くいかない」場合。
どんな選択肢があるだろうか。


ひょっとして一つか二つくらいではないだろうか。

たとえば上司とうまくいかないとする。(中略)
極論を含めて対策をリストアップして書き出すといい。


1.上司を殴る
2.徒党を組んで上司の排斥運動を起こす
3.社内メールで上司を批判する
4.公然と面罵する
5.重役にいいつける
6.人事部に配置転換を申し出る
7.命令されてもとことん無視する
8.じっくり話し合う。今までの毛嫌いしていた態度を改める
9.我慢する。「どうせあの上司もあと二年だろう」と考える
10.会社を辞める


さらっと書いてあるが。
これは自分たちの日常そのままだ。
気の合う人、合わない人などいくらもいる。


その時に「感情のまま」に応対するのか。
それとも「考えに考え抜いて」その時々の対応を決めるのか。


ある戦争の首領が言う。
首領「この戦は間違いなく我われの勝ちだ」
部下「なぜわかるのですか?」
首領「そりゃあな。オレたちは皆でこんなに考えてるじゃないか」
「こんなに考えてるのに、ヤツらの「気まぐれ」に負けるはずがない。『こっちは考えてるんだ』」

これとこれしかない。

とかく若いうちはそんなものかな、とあまり疑問も差し挟まず。


ところがギッチョン。
年も取って見るものだ。
選択肢は正に「無数」にある。


いかなる時も「あきらめ」を先行させることはない。


すなわち、著者の言うように「考える」ことは行動であり。
さらに、成功へ向けたかじ取りのための唯一の方法でもあるようだ。


もうこうなったら、考えずにはいられない。

最後の望みが潰えるまで。

何の武器も持たずとも。
自分たちは考え続けることで無限の選択肢を手に入れることができる。


そして、「それ」に気付いたのが戦後の大人たちではないか。


逆に今の若者は「考える」ことをショートカットするキラいがないか。
「考えてもムダ」。
「どうせ人生はつまらない」・


固定観念


もう一度、老いも若きも。
考えたい。


自分の本当にやりたいことを。