藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

(その九)

弁護士の仕事術・論理術 (成美文庫)

弁護士の仕事術・論理術 (成美文庫)


イタリアの政治思想家、マキャベリは人間の本性はいつの時代もかわることはないと見ていたそうだ。
君主が臣民を統治するには、恐怖を与える必要があり、残忍な行為も有用であると主張したという。


著者は言う。

(前略)
より正確にいえば、「人間の本性を性善と見るよりは、性悪と考えて、行動することが処世上必要である。

その社会にいる「全員」が善人でない以上、何かのリスクに備えた心構えは必要だ。
人間、というものをどう見るか、ということとは別に「生きていくための航海上のルール」みたいなものか。


ツキのない人は遠ざけること

身の回りにトラブルの絶えない人
ツキのない人
裏切られる人


ツキのない人、とはその「ツキのなさ」が自分に原因している、ということに気付けない人だという。


確かにそうかも。
だから何度でも「不幸」を呼び込んでしまう。
何度も異性とトラブルを起こす、とか
何度も交通事故に遭う、とか
何度も転職を繰り返し、それでも条件は悪い、とか


こんな特徴に警鐘を鳴らす。

思い込みが激しく、既成概念にとらわれる。
自分に対する過大評価が著しい
問題があると、常に他人のせいにする


こんなタイプの人には近づかぬよう。
また自分がこのタイプにならぬよう。

このタイプには、人間関係は自分が考えるよりはるかに奥深く複雑であることがわからない。
何より特徴的なのは、自己の保身や利害からしかものごとを見ることができないということである。


だから、一時はビジネスがうまくいっても、融通無礙、柔軟に自分の考えを対応させていくことができない。
やがて古くからの側近や部下は離れていく。


彼にとっては、面倒を見てきた自分を裏切った側近が悪いのである。
側近が彼の酷使に耐えかねたことは、全然理解していない。(p209)


「不満をいう代わりに、みずからを磨け」
これこそが私が経験から学んだ貴重なノウ・ハウである。
過去と他人は変えられない。


だが、自分と未来は変えられる。

なんと力強い言葉か。
著者の金言である。
これだけでも、何か元気が出てこないだろうか。


性の合わない人ともつき合うのが教養

幸運も不運も「人を介してやってくる」のである。

人を用心し、警戒し、不信の念で見るだけでは、自分の世界は広がらず、まして仕事を発展させることはできない。
性格的に自分と合わなくても、よい仕事をする人々とはつき合うことが大切である。


そうすれば自分とタイプの違う人とも、やがて自在につき合えるようになる。
文豪ゲーテは、弟子のエッカーマンに、「自分の性に合わない人とつき合って、うまくやっていけないなら、教養というものは何のためにあるのかね」と諭している。(p220)

性に合わない人、というか「何から何まで気の合う人」など殆どいないものだ。
気に入らない部分もあるが、「いいところを見て付き合う」というのが大人の流儀と。


これは『相手のどの部分を「好き」になれるか』ということではないか。
何とか、好きな部分を見つけ出す。


気に入らない部分には、誠実に、正直に対応する。
意外に、真心というのは伝わるものだ。

気に入らぬ相手にも、「本気」で接する覚悟。
そんなことも教養なのではないかと感じた。