藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

(その十)青・中・老、の色分け。

弁護士の仕事術・論理術 (成美文庫)

弁護士の仕事術・論理術 (成美文庫)


最終、第6章「賢い人生習慣」をつける、より。

副題に『幸福は循環するのだ。もくもくと着々と自分を練っていけ。』と。


なかなか、やる気になってくるじゃない。

最終章は、著者の人生観そのものについて。
人生とは総じてどんなものか、を考えるために冒頭、ショーペンハウアーの言葉をひく。

人生はあらゆる面で失望であり、虚無であり、欺瞞である。
人は喜びにあふれた青年期を経て、苦労の多い壮年期が続き、やがて難渋極まる老年期に入り、最後には病に冒され死との闘いが待つばかりである。
このように見てくると、この世に生を享けたことは間違いであることがいよいよはっきりと現われてくる。(p224)

キング・オブ悲観主義者とも言える言葉。
まさかこれほどとは、だが、「このようなこと」は人生を過ごす上では「なんとなく」心にとめておいた方がいいかもしれぬ。
「こんな面」もあるのだよ。


とあらかじめの「覚悟」があるだけでも、ずい分こころの余裕になる。

夢中な青年期
多忙な中年期
わびしき老年期


そんな構図。

青年時代にはあり余る健康と余暇があっても、富はない。
壮年時代はそこそこの健康と富はあっても、余暇がない。
老年時代は多少の富と余暇があっても、健康に見放されてしまう。


とまあ、なかなかうまくゆかぬものだが。


だが。


これを「あらかじめ」知っていればどうだろう。
自分は今、まさに『そこそこの健康と富はあっても、余暇がない。』時代に入っている。


が、そう思えればずい分「その時々」を「理性を持って」あるいは「積極的に」過ごせやしないだろうか。


これも先輩からの金言だ。

将来にも備えて研鑽に励むが、同時に現在を楽しむ、そんな生き方が好ましい。(p225)

これも、若いだけの知恵ではなかなか気づかぬ。
著者は分刻みで仕事をこなす、国際弁護士の例をひく。

最近、三十代の弁護士か、年間三千時間も働いていると聞き、さすがに驚いた。
土曜、日曜も含め、毎日早朝から深夜まで働かなければ達成できない時間である。
月に数度は事務所付近のホテル泊まりだろう。


これは異常である。
若者が恋愛をする暇もなく、バカ騒ぎもせず、仕事一筋に生きて、虚しさや徒労感を感じるゆとりすらない。
食事時間も不規則だし、運動する暇もなく、ストレスは果てしない。
若手弁護士でさえ、うつ、糖尿病、不眠、アレルギー、過食、心身症などの予備軍である。


こんなことで、人生という途方もないものにどう対処するのか。
そんなことを考えることもなく、ただ目の前の仕事という刺激に反応し続けているだけではないか。
たしかに「大きな仕事をしている」という充実感もあり、自尊心も満たされ、若くして、ときには一流企業の役員クラス並の収入をえるのだから、激しく働くのは当たり前かもしれない。
しかし、失うものも、予想外に大きい。


自分も仕事以外のことは放たらかしにして、今ごろいろいろ反省しているクチである。
ただ、仕事に打ち込まぬのも、不甲斐ない。

「そんな」仕事とそれ以外、とのバランスをどう取るか。


「それを考えること」こそ人生を後悔なく行くための「要諦」なのだろう。

一生に渡って続く趣味や学習、老後を過ごすパートナーたちなど、忙しくともバランスさせる。
そんな「生活習慣」が重要なのだ。