藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

食の楽しみ。


食のこと。


もとより、ただ高い食材を欲するものではなく。


評判の名店、などと言われる店ではいかにも「心がこもってないな、と」感じることも多いのも経済原理か。


それにしても東京は玉石混交、ガイドブックなどを見て訪ね、失望することは頻繁だ。


グルメの中には晩ごはんは一生にあと○回、という人がいるが、ようやくそういうことか、とその心境に思い至る。


そうか。
「食」もソフトウェアなのだ。

食材は車の片輪(かたりん)のこと


だから食材そのものの価値、というかパフォーマンスは「それ」でしかない。
いかに良い食材も、食する環境しだい。


さらに、自分の体調や精神状態すら関係する。
だからいい「食」を求むれば、自然「道の求道」みたいな雰囲気を帯びてくる。


懐石料理とか、茶道とか作法とか、は本来「そういったこと」をより楽しむためにあるのだ、と気付く。


何度も練習し、苦労して型を身につけ、無形の何かを追求するのも、つまりは「楽しむ」というキーワードが重要か。


武道も書道も音楽も。
その究極は楽しみにあると。


自分はからきし絵心ナシ、だが、やはり絵を描き上げたあと、もそんな快感、というか悦楽があるのだろうか。


ストイックながら、不思議な気がする。
「道の追求」とはこの辺りに秘密がありそうだ。