藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

市場の底はある。 

トヨタの国内生産は先月でマイナス25%。
マツダはなんと半減と。


負の連鎖、とはよく言ったもので収縮が始まるとまったく「底が抜けたように」見え、奈落の底に落ちてゆくような気がするが、そうでもない。
要はそれまでの「ふくらみ」がどの程度ムリがあったか、ということでそれとの兼ね合いで、相対的に「すごく縮む」ように感じるのだと思う。

ズバッと。
「これまでの半分」くらいが適度、という経済規模程度になるのでは、と思う。


多分。
一食何万円もするような高級料理店とか。
服飾とか。
住居とか。
車とか。


自分も若いころはいっぱしの車好きだったが、いつの頃からか「車が上等になり過ぎているな」と感じていた。
さかのぼって思い出すに、たぶん二十年くらい前だ。


「それ以前」の車はまだ発展途上、というか、これからいろいろと「伸びしろ」がまだまだあって、まあ「過剰」な感じはまだしなかった。
それが、いつしかデザインにせよ、エンジンの性能にせよ、内装設備にせよ、「ある一定の閾値」を超えてしまったような気がする。


「そこから先」の自動車の進歩は、自分の目から言わせてもらえは「過分」でしかないように見えていた。
もういいだろう、という感じがしたのだ。
ハイブリッド車は100%よくない、とも思わないが、少なくともガソリン車で、しかも大排気量の車を使う、ということはもうこの先ないのだろうと思う。


そう言うと何だか「文明の進歩停止」(そりゃ自動車産業は二十世紀の象徴だし)みたいで何か少し寂しい感もあるが、是非もない。


人間は自制が利くのでは、という可能性

人間は性善説で見るか、性悪説でみるか。
と、「どちらか一方」ではもちろん論じきれないのだけれど。


案外、「結局環境に有害なものを、後世に残す」、そんな物は「全て止めよう」という結論に至るのも早いのではないか。
二十世紀からこれまで。
およそ百年間は、躊躇なく、わき目も振らずに「産業振興一本」で発展を志向してきた先進国。


おかげで、ずい分「行き過ぎ」が露出してきて、今日に至っている。
そろそろ「逆向き」にゴロッと風向きが変わるのではないか。


これまで、時間の壁をなくし、あらゆる物を世界中に届ける進化した「流通」。
ユーザの欲求を満たすそれは「良いこと」だと暗黙にされてきたが。
そのユーザの志向が変われば、是非もない。

「そんなにまでして、他所で獲れたものを手元に置く必要はない。『地産地消』でよいではないか。」


近々、そんな考えが先進国のパラダイムの中心に来るだろう。
そうなれば「それ」に従った支援をすることが企業の務めになる。


もう二十四時間で全世界を結ぶ必要はなく。
むしろ地産地消をサポートする企業などが支持される。
今のトヨタやGEやノキアのような存在に。

ここ最近、つねに「文明と環境負荷」のようなことを頭痛のタネにして発展してきた二十世紀だが、いよいよ「ネクスト・パラダイム」か。


できれば、そんな「次世代」を予想しながら、「そこでこそ求められるモノ」を生業にしたいものだと思う。