藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

ヒーローの最期。

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三沢光晴が亡くなった。
試合中の事故のようである。


プロレス、という「興業」がショーかスポーツか、パフォーマンスか。
アントニオ猪木の後、業界全体が迷走を続ける中で、トップに立ち自らも現役で試合い、そのさ中に斃れた。


自分も同世代で、学生時代ほどではないがチラチラと様子を見ていた三沢。

彼の早すぎた最後は、プロレス界の幕引きを象徴しているのでは、などと思う。

1976年のアントニオ猪木」を読めばよく分かるが、今のプロレス界は「格闘技界」とは別物になってしまっている。


興業としてのプロレスは、その肉体同士の「すごみ」を派手に見せるショーとしての将来に賭け、「真剣に勝敗を決する」部分の胡散臭さは「観客にはっきりと分かるように」排除する必要があるだろう。
どっちつかずの姿勢に、「なんとなく面白くなさ」を指摘する声は多い。


三沢のそんなメッセージを感じるのは自分だけだろうか。
合掌。



<MSN記事全文>

プロレスラー三沢光晴さん、試合中の技で頭を打ち死亡

試合中に倒れた三沢選手を心配するプロレスラーら=13日夜、広島県立総合体育館(提供写真) 13日午後8時半すぎ、広島市中区広島県立総合体育館で、プロレスラー、三沢光晴さん(46)が試合中に相手の技をかけられて頭を強打。
病院に運ばれたが、間もなく死亡が確認された。

 広島県警は試合関係者らから事情を聴き、当時の状況を調べている。

 県警や主催したプロレス団体「ノア」によると、三沢さんは同8時10分ごろ、メーンイベントのタッグマッチに出場。約25分後、背後から抱え上げ、後ろに倒れ込むバックドロップをかけられ、リングに倒れた。

 試合はレフェリーストップで相手方が勝った。

 目の前で観戦していた市内の会社員の男性(32)によると、倒れてから救急車で運ばれるまで10分以上、仲間のレスラーや救急隊員が心臓マッサージや自動体外式除細動器(AED)を使い蘇生(そせい)措置を施したが、三沢さんは全く動かなかった。

 この間、リングサイドのファンから「ミサワ、ミサワ」とコールが上がり、搬送後も約2300人の観客で埋まった会場は騒然とした状態が続いたという。

 男性は「僕らにとって中学時代からの永遠のスター。
間違いなく日本ナンバーワンレスラーで、超ショックです」とうなだれた。

 三沢さんは埼玉県越谷市出身。1981年にデビューし、2代目タイガーマスクとして活躍。
90年代に全日本プロレスの中心選手となり、その後、ノアを立ち上げた。