藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

じぶんの時間のつかいかた。


あまり外国で生活したことはないが、日本の四季、というのはその時々の表情が移り変わり、とても得がたいものらしい。


季節感しみじみ、なんてのも年とともにだなあ、とぼんやり考えていた休日だが。


実際はどんなもんなの?
と素朴な疑問。

残りの人生


60才まで現役、と仮定する。
あと十五年足らず。(十四年と7か月か)


年間240日くらい働くとして、3360+140=3500日!(実感なし)
ピンと来ず。
だがもう少し分かりやすい物差しを。


本を読むなら。
自分の場合、どんなに急いでもまあ二日に一冊程度が限界か。
3500日なら1700冊。
でも週刊誌とか月刊誌なんかも多いから、まともな本なら500から700冊程度ではないか。
「これから読める本」はそんな程度でしかない。
よく蔵書二万冊、とか言う人がいるが、比べるべくもなし。


あと500冊程度なら、ちょっともうビジネス書とかばかり読んでないで村上春樹くらい読破するか、などとも思うこの心境の変化。
ほかには。
例えば音楽。
一日に一時間聴くなら3500時間。
む。
まてまて。
例えばピアノ。
一曲マスターするのに、かなり頑張っても二週間は下らぬ。
暗譜するまでなら一か月は覚悟か。
そうすると自分がモノにできる作品の限界は3500÷30=116曲。
これで終わりである。
ので無限にいろいろ聞いてチャレンジしよう、という仮定は成り立たない。
116曲といえば「ジャズの名盤100選」とか「CMで流れるクラシックベスト100」とかいう程度のものだ。


これからの自分のチャレンジはそんな範囲のものなのだ。


もっともこれはもっと若い時からを起点に考えても、さほど変わらぬということにも今気づく。


(つづく)