藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

ヤク、が目的ではない。


原因は「定位感の喪失」ではないだろうかと自分は思う。
あまり芸能人の知り合いはいないが(芸術家は「芸能界の人」とはいない。別のカテゴリーのようである。芸能界の人、というとテレビラジオに出演するタレントのイメージが強い。この人たちのこと。)売れっ子ほど焦燥感が強い、と伝え聞く。


テレビやラジオの人気は移ろうものだ。
不安定。まさに水もの。
今日、出演依頼があっても明日ある保証はどこにもない。
人気が出て持て囃され、晴れがましい気分になればなるほど、その「スポットライトの中心」から外れることの恐怖心は強くなるだろう。
いわゆるカタギの職業で、日々毎日、


車を運転する、とか
会社に出勤する、とか
接客販売する、とか
教壇に立つ、とか。決まった仕事に比べて。


その精神の不安定さ、は推し量って余りある。

そら恐ろしいほどの「不安定感」を常に感じながらの毎日を送っているのだ。


また今どきの特徴だろう。

学生時代というのもある意味定位感を欠くポジションになってしまった。


将来の進路を決めるとか、
何のために学んでいるのか、とか
働くことの意味、とか
社会全体への根本的な疑問、とか
大人たちとか政治家とかへの嫌気とか


ある意味甘え、ともとれるが一方身分的には生活は保証されていたりして「フワフワ感」もあるだろう。(自分がそうだった)


程度の差はあれど


と最近頻発する薬物所持の報道を見ていて思ったのだが。
もう少し広角度に考えると。


自分たちの人生、とは。
もっと言うと生きること、とはこの「不安感」との闘いなんである。
程度の差はあれ。


日々、それとの格闘なんである。


芸能界とか、水商売の世界に身を置いたなら、日々の浮き沈みに非常に強い不安感を感ずるだろう。
しかし、その中でも手探りながら「確実な寄る辺」のような「何か」を積み上げて、自分の漂流する心の拠り所を見つけているひとはいる。
芸能界、というよりも「芸術」の世界に身を置いているひとは皆「この積み上げタイプ」である。
薬物に頼って自己崩壊してゆく人は芸能人は堅気の人、に比べて圧倒的に多いだろう。


「それ」とまともに戦っていけるか。
あるいは「それ」のことを自分の「心の幅」の中に入れて生きて行けるか、というメンタリティこそが問題になるのだ。
(つづく)