藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

早いことのアドバンテージ。

遼君、優勝。


そら恐ろしいハイティーンが日本にも出てきたものである。
こういう人を見ていて思うのは、若さのレバレッジ、ということ。



ビジネス界でも、活躍する人の年齢はどんどん若返りしている。
時代のトレンドはそんな感じだ。



でも若いうちに方向を決めてしまう、というのは一見「結構な危険行為」に見えなくもない。
なにせ、その「何か」に打ち込めば、一日の可動時間の大半を突っ込む、というようなことは少なくない。
それで、最後に結果が出せるか、とか納得ができるか、というのは別のものである。


とこれまでは思っていた。
が。

若さの利得

若いゆえに、何か一つのことに特化して、あまり時間を費やすことは、逆に「偏り」を発生するのではないか。

という声は意外に強い。


だが。
後から見返してみると、たとえそれが「一生継続する」というテーマではないにせよ、その「熱意」は無駄にはならぬように思う。
また。


高校野球とかに見える、一家総出でそのテーマに入れ込んで、結果別の道を選択する、というのはよくある。
それでも。



若いうちに、「何か」のテーマに打ち込む。
スポーツでも、芸能でも、またそれが勉強でも。
その「若さのパワー」は、その後の三十代以降のだれしもが羨む絶対的な力なのだ。



だから。
どうでもいい快楽にうつつを抜かすよりは、その若さを何にでもいい。
何かにぶつけてほしい、と思うのは無理もない感情なのだ。


何かに打ち込んでみること。


石川遼君ではないが。
幼少時から、何かテーマを決めて、それで生涯大成するとは限らない。
むしろ、その先の苦労の方が多いかも知れぬ。


でも。

それでも、「若いうち」に何かテーマを持って、方向性を持って突っ走ってみる、というのは貴重な時間の使い方だと思えてならない。
少々間違っていてもいい。


要は「燃焼の密度」みたいなものだろうか。
若いから、突っ走れる権利、みたいなものがあるのだ、ということを若い人には知ってもらいたい。
年長者は「それ」を若者にしらせる義務があると思う。