藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

月刊アスキー、休刊。


学研の科学と学習は少子化ゆえの休刊。
小学五年生、六年生も同じ。
ChuChuとかPINKYも同じ。


フォーブズ日本語版、は不景気のせい。
就職ジャーナルも同じ。


ビーイングとらばーゆも、そしてダカーポも。


そして毎日新聞産経新聞も地方で「夕刊廃止」を始めていた。


集約されるニーズ


つい昨年、「何かこの先、技術サイドからビジネスを見られる刊行物を」と思い、ようやく選んだ「月刊アスキー」。
あえなく休刊の知らせ。
残念至極。


マニアックな欲求はどんどん「不偏化の波」に飲み込まれる、というなにか大衆じみたことを感じた一瞬である。
紙媒体の、特に趣味嗜好の刊行物は、どんどんwebにそのシェアを奪われる。


だが、webできちんとその「情報編纂」をコンテンツにしていけば、「元通り」かどうかまではわからぬが、必ずニーズはある。と思う。
自分がビジネスアスキーを選んだのも、「技術を背景に」しながら「徹底的にビジネスにしょうてんを当てた」という姿勢に共感したからである。


ここ一年の記事には、宇宙開発に関するものとか、医療、宗教、ベンチャー投資に関するものなど、「即物的」にどうこう、というよりも今後の「IT技術の行方」のようなことに一番注目していた月刊誌だとおもっていた。
ただ、ここ数年ではずい分その装丁も変わってきて、心配はしていたのだけれど。
週刊アスキー」の方は、そういう意味からは、逆にずい分魅力薄なのだが、しばらく続くらしい。

篩(ふるい)に掛けられた好み。


自分の「贔屓」が巷の商売から無くなってしまう、というのは。

自分の「シュミ」がもう周囲と合わなくなってしまっているのか、という嘆きとなるか・・・・・
それとも。


自分の感性と合う存在が、「かくも減ってしまっているのか」だからこそ大事にしなければ。

と、どちらかというと圧倒的に後者なのである。

ロングテール」の発掘の裏で、「ひと塊の大衆」はその存在を失いつつある。

だがweb上で再び個性を主張する「ある塊」というのは、例えば今後の新聞社や、出版社のサイト上で再び花開いてくるのだと、このたび思った。


結局、いま紙媒体で起こっている劇的な再編は、「その欲求の強いところ」から再びweb上で結実してゆくのではないか。
月刊アスキー休刊、の報に接し、そんなことを感じた。