藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

終わりなき鍛練。


オリンピック、と自分たちは一言でいうが、競技する人はどの選手もが「四年の集大成」と表現する。
四年、とさらっと言うが、自分の四年前、さらに四年前、となるともう「世代の違う自分」の世界である。
それだけの歳月が費やされている。


一つのことだけに集中し、一日のうちのほとんどを練習に費やし、食べ物も、メンタルトレーニングも重要である。
そんな犠牲というか、下積みというか、気の遠くなるような地道な練習を経て、それでも本番で花開くのはごくごく僅か、悲しいくらいの少人数だけにメダルが授けられる。
傍から見ている方が辛いくらい、遠大なことにチャレンジする人たちには、問答無用で頭が下がる。


そして、トップアスリートともなるや、プレッシャー耐力や集中力の高め方、また脱力の仕方などにも常人の及ばぬ域の技術を持っているわけだが、さらにそれでも「自我」「自意識」との戦いは熾烈なようで、どこまで行っても人間の限界、みたいなものものと終始戦わねばならないようである。
そのさまは想像を絶する。

 バンクーバーに入るまでは、この五輪が一つの集大成になる、という思いが強かった。小さい頃から、練習中でも、家にいても、五輪で金メダルを取りたいと思ってましたし、その思いをこの五輪にぶつけるんだ、という思いがあった。でも、終わってみたら、やっぱりこれは通過点なのかなと思います。これは次のステップなのかな、と。

競技を止めるまで、いや辞めても精神面の研鑽は武道のように、ずっと先まで続くのかもしれない。
アスリートの求める道は、そんな深く険しいものにいつしか変容していくのだろうかと思う。
そして。

トップアスリートにして


それにしても、浅田真央さんの本音なのだろう、本番の演技の時の気持ちは複雑である。

最後の最後で考えの「揺れ」が、このミスにつながったと思ってます。(中略)だけど、「このジャンプを跳べば大きな得点がもらえる」と思ってしまった。
その考えがミスの始まりでした。
今後のいい経験にはなったけど、もう、バンクーバーでやってしまったことは取り戻すことはできないですね。

「このジャンプを跳べば大きな得点がもらえると思ってしまった。」


世界の最高レベルの選手にでも、そんな悪魔が巣食う、人間の心というのは恐ろしいものである。

鍛えれば鍛えるほど、修練を積めば積むほどに、さらに高いレベルの自我が立ち現れてくるということだろう。


「色んなことをやってみたい・・・私生活を充実させないと演技に幅がでませんからね。」ここでもまだ、私生活はスケートのための触媒のようであった。


傍から見ると「孤高の挑戦」でとても自分などには務まりそうにない、と思ってしまうが、物は考えようかもしれぬ。
楽家でも、芸術家でも、はたや医者や弁護士、教師や農家。
どんな分野でも「一流」と名の付く人は、大なり小なり「そんな努力」をヒタヒタと続けている人ではないか、と思い至る。
日の出とともに起き、そのまま勉強や情報の整理などに向かい、生業とする仕事に着手して、そのまま夜を迎える。仕事中にも自分なりの学習のスタイルや、スキルアップの方法、精神的なモチベーションの保ち方などの「精神的な姿勢」については、ビシッとその構えができている人。


そんな人は見回せば、意外にウヨウヨいるではないか。

要はそんな「覚悟のある人」に自分自身がなれるのか、なれないのか、ということだけなのではないか。

自分たちはよく、頂点の一角だけを見て、やれ不可能だの、前人未到だの、とわあわあ騒ぐが、実は覚悟のない連中の井戸端会議だったのかと思うのだ。


覚悟して、ただ黙ってやればいいのである。


そして、そう思えば、人生でこれからやれることは、思いのほか色々ある。
要は本人の考え方次第なのだ。


あきらめるな。


銀の涙 通過点かな
2007年6月から随時、連載「真央らしく」で奮闘ぶりを伝えてきたフィギュアスケート女子の浅田真央中京大)が、バンクーバー五輪で銀メダルを獲得した。スポーツの枠を超えた人気の中で目指した初めての五輪。ずっと目指してきた大舞台を終えた今の気持ちを、バンクーバーの地でたっぷりと語ってもらった。

    ◇

銀メダル。けっこうずっしりして、重いんです。重みもそうですけど、その価値も。


お母さんとまず抱き合って、メダルをかけてあげました。5歳から毎日、リンクの送り迎えなど、すべて自分のために費やしてくれた。銀メダルという形で恩返しできたのは良かったなと思います。

 バンクーバーに入るまでは、この五輪が一つの集大成になる、という思いが強かった。小さい頃から、練習中でも、家にいても、五輪で金メダルを取りたいと思ってましたし、その思いをこの五輪にぶつけるんだ、という思いがあった。でも、終わってみたら、やっぱりこれは通過点なのかなと思います。これは次のステップなのかな、と。

 この4年間で一番苦しかったのは、昨年のグランプリ(GP)シリーズのロシア杯(10月)が終わってからの時期。自分で映像を見てびっくりしたぐらい、ジャンプのタイミングが違ってました。そこからの練習がつらくて、本当に五輪に出られるかなと思いましたし、五輪までに間に合うのかなという不安がありました。それを考えれば、今回の五輪の出来は良かったのかな、とも思う。

 ショートプログラム(SP)はトリプルアクセル(3回転半)ジャンプを含めて完璧(かんぺき)に出来ました。金妍児キム・ヨナ)選手(韓国)と比べると、もう少し点数が近づいていても良かったんじゃないかなと思います。でも、フリーでは二つのジャンプのミスをしてしまったので……。トリプルアクセルを二つ決めたのに、アクセルより簡単な3回転フリップと3回転トーループの失敗。予想外だった。日本でしっかりと準備ができていただけに、本当に悔しい。

最後の最後で考えの「揺れ」が、このミスにつながったと思ってます。跳ぶ前に集中してジャンプにいけば良かった。だけど、「このジャンプを跳べば大きな得点がもらえる」と思ってしまった。その考えがミスの始まりでした。今後のいい経験にはなったけど、もう、バンクーバーでやってしまったことは取り戻すことはできないですね。

    ◇

 トリプルアクセルに関しては、もう少しGOE(出来栄えの評価)の加点があっても良かったのにな、と思いました。今の採点方式で一番気になるのは、GOEの基準です。どんなジャンプを跳んだらプラス3になるのか、プラス1になるのか。フィギュアはタイムがはっきりと出るものではなく、人が採点して決めるものなので、その基準がよくわからなくなる。日本に帰って、もう一度ジャッジの方々に聞いてみたいです。

 新採点方式になってから、ジャンプの難度という意味では一段一段落ちていると感じています。今季、プルシェンコ選手(ロシア)が復帰してから、男子でまた4回転が見られるようになったのはいいことだと思っています。ヨナ選手も難しい2連続3回転ジャンプを跳びますが、私もすべての要素を完璧に決めた上で点数を比べてみたかった、というのが正直な気持ちです。ヨナ選手には、現役を続けていてほしい。やはり一緒に試合に出て、しっかりと勝ちたい。

 来季に向け、苦手なサルコーやルッツも少しずつ練習はしていきたい。今季は入れなかった2連続3回転も。次の五輪までにいろんなことに挑戦して、また試合でできるようになればいいなと思います。

 今季は(タチアナ・)タラソワ先生に習いましたが、来季については考えています。先生もロシアですごく忙しいですし、体調のこともあるので。でも、先生に代わってから一段とステップの評価をしてもらえるようになりましたし、違った自分を引き出してもらえた。先生は知れば知るほど、まだまだ学ぶことがたくさんある。1年間ずっと一緒、というのは難しいと思いますけど、短期では指導を受けたいと思います。

これから4年。スケートも頑張りますが、大学では自分が必要だと思う講義、特に心理学を学んでみたい。他にもマラソンやヨガ、ピラティスなど、いろんなことも試してみたいと思っています。私生活も充実させないと、演技にも幅が広がりませんからね。

 (かつてのコーチの)山田満知子先生からは、たくさんの人に応援してもらえるようなスケーターになりなさい、とよく教えられました。23歳で迎えるソチ五輪では、もちろん、金メダルを目指しますが、そんなスケーターでいることが一番の目標だと思います。(構成・坂上武司)