先日、芸子さんの踊りの会を観覧する機会があった。
若い頃に京都の鴨川をどりや東おどり、とかに祖父に連れられて行ったのを思い出す。
その頃は、ただ眠いばかりの発表会でしかなかった。
この年で改めて驚く。
舞の美しさ。
それはバレエというよりは、民族舞踊のようである。
そして音楽。
笙や横笛、鼓の音色。さらにベースとリードギターを兼ねたような三味線の音色とリズム。
そして唄。
目から鱗の日本文化、といった感覚だった。
そしてそして衣装。の和服。
照明に映え、薄緑、濃紫、空色の友禅が、振り袖とともに舞う。
そしてそこに帯。
長く斜に構えながらも、あるタイミングではらりと見せる後ろ姿にはまたその立体的な造形に目を奪われる。
ただの帯というよりは空間に置かれたオブジェのようなのだ。
その振り袖が、幕後半では黒一色にかわる。
改め、「黒の深さ」を京染めを通して感じることになる。
一斉に黒一色になった芸子の白粉に紅、黒髪に簪の銀、がまた別の舞台を作り出す。
そして大団円。
全ての芸子が三列に並び、謡を交えて囃子をたてる。
昔の粋人はこれを見ていたのか、としばし茫然。
見渡せば、周囲は和服を着こなす旦那衆やお上が断然多いのに気づく。
日本人のくせに、日本文化を解するには、ずい分年数のかかるものだ、と改め認識したお花見時節だった。
年齢が経つほどに、感じる日本もあるものである。
年は伊達に取らないものである。