藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

プロとアマチュアの差。-その二


一番顕著な例。
「イヤなことを進んでやれるかどうか」。
誰しも人に無理を言う、とか
予算をカットする、とか
自分だけが余分な仕事をする、とか
他人の悪い点を指摘して改善してもらう、とか
仕事の仕上がりについてクレームする、とか


そんなことはできればやりたくない。
人間としてはそれが正しいと思う。
そう思わぬ人はサディストだろう。

けど「それが必要」ならば間髪入れずにそう動ける人がプロである。
と最近強く思うようになった。

むしろ「そういう目」で全体や目的を常に見回していて、何かおかしな動きがあれば即座に対応する。
プロとはそんなものではないかと思う。

典型的な例。

取引先と「おカネの話」をきちんと合意していない。

と、
あとで、必ず揉めることになる。
あるいは、全然受注できない。
あるいは、いつまで経ってもプロジェクトが終わらない。


自分も社会人になりたて一年目に、この手の「洗礼」を受けたことがある。それも立て続けに。


一つめ。
仕事先で「価格について」話し合いをして来ずに仕事を受けてきて、プログラム開発がスタート。
ひと月ほども経ってから「とんでもない安値仕事」だったことが発覚して、社内で問題化する。
相手に確認すると「オタクが聞いてこなかったから、ウチはこれ以上は支払わない。嫌なら止めたら?あ、その場合は損害賠償してもらうよ」というとんでもない事態になった。
上司ともども「こんな一年目のハンパモン(とは自分のこと)に営業させンな!!」と社長から大目玉を食ったことを思い出す。(大汗)


二つ目。
なぜか先輩SEに呼び出され、昼飯をごちそうになり、そのまま客先へ。(何かヘン)
行った先はお客様の病院。


なぜか病院長!の登場を待つ間に「実は院長の給与データが一般職員の給与明細に公開されてしまったんだよ、フジノ。」という、今なら何とか保護法に引っ掛かりまくるような事件の、今日は謝罪に来たのだという。
大病院長は応接室に来たとたん「何なの?」と座りもせずに訝っている。
「こちらの人たちは技術者の方?」
「で、営業責任者は誰なの?」
「え、アナタ?」
「ずい分若いけど、大丈夫なの?」
自「は。」
「いや、アナタ若いけど今回の責任とれるのって聞いてんだよ!キミに!!」


と怒りの導火線に早くも引火。(ひぇぇ)
自「は。」
「なんだよ、こんなペイペイよこしてさ!悪いと思ってないんじゃないの?!え?オタクらシステム屋さんでしょ!それがボクの給料が皆の給与明細に印字されてるって、いったいどんな理由なの!!!」ともう激噴である。


まったく。
どういうプログラム書けばそんなことになるんだよ、と思いつつ、しかし本能的に乗り切った(この乗り切り方は一つのドラマだったのですがここでは書きませんが)けど、もうその時は死ぬかと思うくらい、いや正確に言うと自分のせいで会社が潰れるのじゃないかと思うくらい焦ったものである。


先輩達にも、それならそれでちゃんと事前に話さんかい、とも思いながら、心の中では「こういう事態」が自分一人で「完結」できるようにならないと、なんとなく「一人前ではない」のではないか、とその時うっすらと思ったのが「一人前とは何か?」を考えることの萌芽だったのだと、今思い出した。


ダラダラと書いてしまった。
と言うわけで、プロの仕事は結果的に、

・失敗しない。(結果が出る)
・失敗しても被害は想定可能な限り「最小」でとどまる。
・同様の因による失敗が再発しない。


そして、

・一度経験したプロジェクトに、これまでの「経験」を乗じて、ハイブリッドなものを発案し、「次のアイデアにつなげる」

ことが多い。


つまり、失敗をただでは終わらせない、「転んでもタダでは起きない」ような行動習慣がプロの特性なのだ、とも思う。


他人を「ううむ」と唸らせてこそのプロ。

「一流」とはやはり非凡な日常の積み重ねが結実したものなのだろう。