藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

リスクの中で。


「子供は無菌状態ではまっとうに育たない」などということを考えていたら、昨日のように「大人対子供のスタンス」みたいな話になってしまったが、本筋はこちらだった。


花粉症とかダニアレルギー、は自分たちの幼時には存在しない病名だった。
アレルギー性鼻炎、とかも。


だが、そんな「現代病」たちは、俄然その存在感を増している。
より薬が発達し、技術が進んで便利な世の中になればなるほど、それに応じて新しい病気の症状が発現するのだ。

子供の環境。


どれだけ「純粋無垢」な環境で育てようとも。
この世で他者と交わって世間で生きてゆく限りは「雑菌」との接触は避け得ない。
だから「無菌」で育てよう、と努力するのは却って本来持つ免疫力の向上を阻害する。


そう、私たちは「結構な危険な菌」に囲まれて、ここまで生きてきたのだ、ということを今更ながらに思い出す…


小学校の同級生のA君はお父さんがヤクザで、家にしょっちゅう警察が来ていたし、
中学の時には、親しくしていたB君とC君が他校への殴りこみの容疑で捕まり、夏休みに退学していたし、
高校の時には近所の先輩Cさんがマリファナ所持と集団暴走行為で夜中に逮捕された、とか
大学の時にはアルバイト先のD君たちが覚せい剤所持容疑で捕まったとか、知り合いのE君は有名女優の息子で、自宅の豪邸でやはり薬物パーティで補導されたとか。
友人に紹介されたE君は、とてもハイソな感じで、「君たちは乗馬はやるの?」とかいう感じでそのエリートぶりに驚いたが、その数日後に事件が起きた、と聞いて東京はさすがに色んな事があるワイ、と妙に感心したものである。


それはともかく。
日本はそれでも安全で、義務教育のレベルも相当高い。
それでも、一般庶民の生活では「一歩外」へ出ると、割といろいろ危なっかしい。


むしろ「そんな中」で生きてゆくことを覚えていかないと、普通の生命力はなかなか育たないものなのだ、と改めて思う。

無菌、は嘘くさい。


家族や親戚縁者が裕福で、何のもめ事もなく、
友人やご近所皆がすべて満足して暮らす社会、などあり得ない。


それどころか、幸せに見えた自分の両親だとか、親戚だとかが深刻な借金に悩んでいたり。
一番の親友とか、会社のお世話になった先輩の家庭に重病に悩む親族がいて、それは深刻な問題だったり。


そんなところに実に深刻な一面があるのだ、ということにずい分大人になってから気付いたものである。
で、何が言いたかったのか。


あまり青少年を「エグい」社会的事実から遠ざけて、すくすくと育ってもらおう、と思っても、それは本来の思惑に沿った結果にはならないものである。
あまり子供の目を醒めさせることもないが、しかし現実の「寒々とした中」にこれからの若い人たちの将来だってあるのだ、ということは早いうちから知っておいたほうがむしろ良い。


社会に生きる「裏側こと」とか「本音」をついつい自分たちは若者には聞かせない。
ちょっと説教じみた口調で語っても、「君には可能性がある」といった口調になりがちなのが自分たちである。

子供や若者に、今の自分の本音を語る。

ともかく、それが最大の「できること」なのではないだろうか。
なにもポーズをとることもなく、虚飾することもない。


「等身大の自分たちを後輩たちに見せること」が、若者との対話では重要なのではないだろうか。
いくらエバって先輩面してみても、彼らには、そんな空威張りはとうにバレているのに違いないから。
彼らにはストレートに接したいものである。