先日、川上未映子さんの服は死ぬ。という話を読んでから、「衣服」というものへの概念が変わった。
衣類というものは、まず暑さ寒さをしのぎ、その上でさらに防寒とか、デザインとか、色遣いとか、いわゆるお洒落の部分が「乗っかっているもの」だとばかり思っていた。
違うのか。
「服は死ぬ」というキャッチの通り。
衣服は賞味期限を持っている。
それも予想以上に短いのではないか。
たとえば、二十歳のころに来ていたセーターやズボンは、そもそもデザインも古びているし、なによりも世代を飛びすぎていて、もはや似合わない。
そのくらいのことは知っていた。
だが、現実の衣服は、お洒落を意図したものほど、鮮度が命なのではないか。
たとえば、「一回もの」。
一度きりしか着衣せず、そのまま永眠する。
洋服はまず防寒着である、という概念が強い数年前なら目を剥いて驚いただろう「服の消費の概念」。
お洒落する人はそんな感じみたいなのだ。
毎日が舞台。
そんなことに気付き、近くの女性たちに「一度しか着ない服ってある?」と聞いてみる、と即答。
結婚式に参列する服とか、「一張羅は大体一度きりよ」とのこと。
ひぇぇ。
少なくとも数万円はするアウターである。
何でも大体年に数回の祭事に加え、洋装、和装などのバリエーションもあり、図らずも「一度きりの出演」になるのだとか。
それでも彼女らはは言う。
「自分が主役でなくとも、晴れの舞台には立ちたいものよ」と。
そうか。
女性は生まれながらにして女優なのだ、と今頃気付く。
そこには身近な「損得」などては計り知れない価値があるのだろう。