藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

テキストの限界。


思えば「思いつき」で手当たり次第に本を買い、無差別にむさぼり読んでいる。
読むのは本だけじゃなく、ネットの画面や他の印刷プリントなどもある。
最近、しばらく疎遠になっていた技術系の月刊誌も読み始めた。
ふと気がつくとこれまでにない勢いで在庫が発生しているようである。
これまでもある程度の「積ん読」は仕方なし、と思っていたがいよいよ困った。


そして当たり前だが、「読書の時間」なんて全然「無限にある」わけもなく、ただこれまでは「興味を引いた書物を読むなんて当然」と思っていただけだということに気付く。

そう。読書の時間も有限なんだ。

そんなことに。
今さら。(嘆)


で、ちょっと反省してみると。
ビジネス系…ネット購読一誌。週刊誌二誌。月刊誌二誌。
技術系…月刊誌二誌。
その他…月刊文春、大前通信、考える人、など。
メルマガ系…約20本。うち毎日届くものが約十本。


う。
けっこうメールの支配率が高いことに気付く。
そして、これに本命の購入した本が平均一日一冊程度。
在庫が溜まるはずである。
ビジネス系の週刊誌一冊でも、ザザザっと見ていると一時間はすぐに経つ。
特に関係のある法律とかITの話題だと、熟読したり、コピーをとって回覧したり、となることもしばしばである。

供給過剰


それに技術系の月刊誌や法律の専門誌も内容が濃い。
まともに理解しようとすると一日がかりである。
さらに、毎日のニュース系のテキストも多い。
自分のブログなどを見返すと時事ニュースに関するものが圧倒的に多い。
おっさんの時事放談、のようで何か意味があるだろうか。
また自分の場合「相の合う書き手」と出会ったら一週間くらい占有されっ放しになることもある。(これは恋人と出会うくらい素敵なことなんだが)。


ともかく、月間の定期購読もので月に約12時間。
その他ネットなどで月に30時間。(一日一時間)。
そもそも読書の時間は一日に二時間くらいだから、これでもう「あふれ状態」である。
だからメシを食べながらの本読みが必然になっていたのだ。


しかも、村上春樹すらまともに読んでいないほど、読書の内容が偏向している。
思えばもう二十年もビジネス系の本一辺倒だが、なにか自分のビジネススキルはそれほど上がっているだろうか、と思うとお寒い限りである。
本当に寒い。
常に「仕事のこと」を第一意に置いておかねばならぬ、という強迫観念だけで、実はとてつもなく無駄な時間の消費をしていたのではないか、という強い疑念に駆られている。
音楽系の本も読みたいし、もっと音楽も聞きたい。
時間の使い方、についてはずい分気にしてきたつもりだったが、根本的に「対読書」の姿勢を見直さねばならないと思っている。


こんなに間近に落とし穴があったとは、正直大びっくりである。
ああ。