藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

幸せの宿る場所


また浅井さんのコラムから。

81年に英国から独立したセントラルアメリカのベリーズという小国での体験。

夜明け、ホテルの部屋でラジオから流れるアメリカ南部の放送を聴いた。
カントリー・ウエスタンだった。ぼくが学生の頃、東京で聴いていたものだ。
懐かしかった。
ホテルの部屋の窓の向こうにカリブ海の闇が見え、とき折り、稲妻が光り、雷鳴が響いた。
それに音楽が重なり、かすかに波音がかぶさった。
この星の不思議にこころが揺れた。

懐かしさの感情が下地にあり、
夜の海が静かに広がっているところに、どこか荘厳に稲妻と雷鳴。

この星の不思議にこころが揺れた


なんと素敵な時間なのだろう。
たぶん自分は一生行く機会はないけれど、ベリーズという国でそんなひと時を過ごしたような気分になった。

ベリーズ」では時間の失くしかたが、まったく自然だった。

時間は消費するもの。
そう、時間は失うのだった。
持ち時間、というじゃない。
そうか。
自分なりの「時間の失くしかた」を身につけなければいけないのか。
そんなことにも気づいたのである。
豊かな、そして鋭い感性から発せられたテクストは、短くとも様々な印象を読み手に与えるものだ、ということも再発見した。

幸せの宿る場所

「海外ロケから帰ったばかりだ」

こんな書き出しのエッセーを、もう何度綴(つづ)って来たのだろう。写真を撮るのが仕事だとはいえ、こんなに海外へ出ることになるとは思ってもいなかった。こんなことも繰り返し書いてきた。けれども、今度のロケは久しぶりに新鮮な旅になった。そのことを報告したい。

ベリーズ」という国をご存じだろうか。ぼくが無知だということもあったのだが、ベリーズへ行くと聞いたとき、国の名だと分からず、地名なのかと考えた。「ベリーズ」という言葉の響きは店の名前、ブランド名のように聞こえる。ロケーションに出るのだから、まさかそれはないが、国の名だとは思いもよらなかった。

場所はセントラル・アメリカ。グアテマラやメキシコに接し、カリブ海に沿っている。人々の生活は貧しいが、豊かな自然に恵まれていた。1981年に英国から独立したばかりの新しい国だ。独立するということは必ずしも経済的に発展するということにはならない。精神の自立は国家も個人もそんな側面を持っていることがわかる。

しかし、ベリーズの自然の豊かさに触れ、旅人のぼくにとっては素敵(すてき)な場所だった。

まず時間がゆっくりと流れていることに気づいた。都市化して行く文明は人間から時間を奪う。都市化が進めば時間を失くし、時計の針は走っていく。「ベリーズ」では時間の失くしかたが、まったく自然だった。朝から昼、そして夜へ、実に悠々として太陽は移動していった。ボートに乗り川を上り下りしたのだったが、ボートは時の流れに添って走った。強い太陽の光に久しぶりに健康的な日焼けをした。

夜明け、ホテルの部屋でラジオから流れるアメリカ南部の放送を聴いた。カントリー・ウエスタンだった。ぼくが学生の頃、東京で聴いていたものだ。懐かしかった。ホテルの部屋の窓の向こうにカリブ海の闇が見え、とき折り、稲妻が光り、雷鳴が響いた。それに音楽が重なり、かすかに波音がかぶさった。この星の不思議にこころが揺れた。

ひるがえって、東京での生活の慌ただしさを思った。人は都市化していく文明ととりかえに自然を失くしていく。

それでいいのだろうか。人の幸福は自然との共生にあることは云うまでもない。

ロケから帰った次の日、ぼくは朝のテレビに出演した。そこでは図らずも北海道の気象異変について語ることになった。