先日来、渡邉氏の言葉に触発され、そして不思議に思った。
「夢を持て」とか「内なる神様をすえよ」とか「夢は楽しむためにある」とか「起業して納税と雇用で貢献せよ」というのは、どれもそれほど目新しい言葉ではない。
というかむしろ、日常の経営論ではよく目にするセンテンスばかりである。
それが急に目に留まったのは渡邉氏の持論が首尾一貫しており、「働く動機から、夢を作ること、そして起業ということ」までが非常に綺麗な流れになっていたからである。
理解がしやすかった、で腑に落ちたのである。
価値観のゆっくりとした進化
自分も会社を始めて3年経ったあたりから「事業そのものの意味」とか「目標はどこか?」ということに、かなり深く悩み、"幾つか仮説を当てはめ、確認しながら"今に至っている。
中でも「働くことの意味」とか「働く動機」については「国際的な分業」というふうに理解していたのだが、渡邉氏はそれをさらに進めて「先進国民としての義務」という捉え方をしていたのは新鮮な気づきだった。
今ひとつ、「働くことの意味」が意義深くなったと感じている。
そして思う。
こういう発見、というか「価値観の修正」のようなことは、毎日ではないが、ちょくちょく起こる。
特定の書物に影響をガツンと受けることもあるし、ことわざのような「センテンス」に触発されることもある。
そしてそんな「価値観の修正」は大規模なこともあれば、ちょっとした補正、というようなこともある。
多分、人は「自分の今持てる」、より、より深い思考に惹かれてゆくのだろう。
そういう意味では「バーチャル・メンター」みたいなもので、本人に会わずとも、またそれが故人であっても「言葉・文字」を通じて、その師に教えを請うことは十分できる。
また出来るだけそういう師を見つけるのは、自分の人生の質を高めるのにとても役に立つものである。
少なくとも、自分は義務教育中に「そうした学びのプロセス」があるということは教わらなかった(と思う)。
けれど、自分たちが抱いてきた疑問や悩みの多くは、ごく普通の人たちが出くわすものばかりである。
自分が疑問に思うことと、そして「今の"自分なりの正解"」を"発信"することは、時には特に悩める誰か、にとってとてもいい助言になると思っている。
ブログはそんなためのツールでもある。
どこで誰が見てくれているかは分からないが(神様かな?)、こんな記事も自分なりに「自分なりの義務」なのである。