藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

高齢化、少子化の中で。


東京の、しかも都心の品川区で「廃校が高齢者住宅に」転用されているという。
インフラコストも安く、またともすれば「維持費倒れ」になるところが一石二鳥の効果を上げているらしい。


これだ!
と思った。
以前ブログに書いたかもしれないが、自分はこれと似たようなことを考えている。
それは「廃校を保育園/託児所、そして"寺子屋に"」ということ。
「老人ホームに」というのとは正反対だが、実はそうでもない。
以前老人問題を調べたことがあるのだが、それこそ「基本的人権」というレベルのものは賄われていても、クオリティ・オブ・ライフが満たされている高齢者住宅というのは、非常に少ないという印象を持った。


どこか姥捨て山(すいません)的な雰囲気が感じられ、あまり「コミュニティ」という感じがしない、つまり「楽しいため、充実した日々のため」という空気が感じられないのだ。
なぜだろうか。

高齢者はなぜに孤独か


都会に住む人の孤独化、とかマクロな原因はそれこそ深刻なものがあるとおもうが、一番には「社会と途絶している」ということが、お年寄りをつまらなくしている、と言えるのではないかと思う。
自分もあとあと二十年すればお世話になっているかもしれない。
そこで「社会から隔絶」されて毎日を「何かして過ごせ」といわれても、相当気力が萎えてしまうように思うのである。


いまでこそTSUTAYAに行き、「ここの映画を全て見られるのなら、老後は退屈しないないな」と思うのは幻想ではないかと思うのだ。
社会に関係なく、体も不自由で街にも出ず、そんな「同様の心理」の人たちばかりの中で囲われていても、恐らく「映画やゲーム三昧」で生き生きと生活しよう、とは思わないに違いない。
(でも「読書三昧」ならあるのだろうか。そうしている人はたまにいるけど…)


なので今回「廃校転じて老人ホーム」にもう一歩進めてもらいたい。

寺子屋併設」である。
(また大文字にしてしまった)

幼稚園以下、なら託児所でよい。
そして両親が働く環境なら、そのまま小学校から「寺子屋通い」である。
学校が終わって、そのまま寺子屋へ。

そこには色んな科目があって、「料理」とか「科学実験」とか「お裁縫」とか「神様」とか「宿題」とか「音楽」とか「体操」とかまあそれこそ何でもあってよい。

もちろん先生たちの中心はリタイヤ直後の60代から100歳まで。
上の人たちなら「ナマの戦争」の話も聞ける。
そして寺子屋は小学校で終わらない。

中学、高校、大学、大学院、社会人になっても人間的な教育は、先輩から一生受けられるのである。

就職に、結婚に、仕事に、そして家族関係に悩む若者に「先輩たち」は何を語りかけてくれるだろうか。
マイナス面もあるだろうが、何か「楽しいこと」が老若、両世代に起こるような気がしてならないのである。


まずは最初のハードルを越えた福祉法人と、決断した行政の担当者に拍手を送りたい。


廃校転じて「福祉」となす リフォームで列島再改造
三度目の奇跡 第2部 かじを切れ(4)


高齢者向け賃貸住宅「ヘルスケアタウンにしおおい」はJR西大井駅から徒歩4分の好立地にある。にもかかわらず利用者負担が月額約15万円と他の施設より5万円近く安いのには訳がある。



 48人の高齢者が暮らす3階建ての建物は、2007年に廃校になった東京都品川区立の原小学校だ。品川区が社会福祉法人の「こうほうえん」(鳥取県米子市)に無償で貸している。約10億円の改装費をかけ、教室を2つに仕切って42の個室に、広い理科室は食堂に、トイレは浴室にした。

 この地域で同規模の物件を借りれば賃料は年間2000万円を下らない。「家賃がタダでなかったら東京には進出できなかった」(こうほうえん理事長の広江研=70)


■治安と介護両得


 12日、中国の介護研究の第一人者、清華大学建築学院教授の周燕ミン(53)がこうほうえんを訪れた。廃校再利用の話を聞いた周は「そんなアイデアがあるのか」と目を輝かせた。


 一人っ子政策などの影響ですでに65歳以上の人口の割合が8%を超える中国にとって、少子高齢化で世界の先頭を走る日本の介護事情は手本になる。10年後に日本を上回る高齢化が予想される韓国の関係者も、こうほうえんを視察に来た。


 東京都によると、都内で本格的な介護が必要な人の数は現在約2万人だが、25年には18万人に膨らむ。介護施設の不足は目に見えている。一方、全国で未利用のまま放置されている廃校は1015校。地元は治安悪化を懸念している。廃校を介護施設に転用すれば一石二鳥だ。


 06年には新潟県の長岡福祉協会が港区の小学校を、昨年3月には岡山県の新生寿会が港区の自治大跡地を介護施設に替えた。都市部より早く高齢化が始まった地方の福祉法人は豊富な介護ノウハウを持つ。そんな地方の実力派が廃校を使って続々と東上している。


 明治維新と戦後復興。2度の奇跡を経た日本にはかなりの資産がたまっている。廃校を含め、09年末時点で国と地方が抱える不動産は465兆円。企業が保有する不動産も08年末時点で471兆円に及ぶ。


 再利用できない資産の放置は思わぬ負担を招く。熊本県は12年度から発電専用の県営荒瀬ダムを撤去し、川を自然の姿に戻す。大型水力発電所の撤去は日本初だ。老朽化で発電を止めたが、放置すれば毎年3億円の維持費がかかる。悪臭などの苦情も出ており、県は撤去の道を選んだ。


 日本経団連系調査機関の推計では、10年に11兆円だった道路や下水道など社会資本ストックの維持管理費は30年に18兆円に膨らむ。撤去の決断が遅れれば積み上げたストックに押しつぶされる。


■跡地で技術開発


 企業は大胆に動き出した。東芝の日野工場(東京都日野市)。事業再編で携帯電話機の生産をやめた後、その他の事業も別の事業所に移し、10万平方メートルの大工場がもぬけの殻。再開発や売却を検討している。

 
「不稼働資産を一掃しろ」。社長の佐々木則夫(61)の厳命で、東芝は「工場の整理整頓」(執行役専務の谷川和生=61)に乗り出した。縮むだけではない。工場跡地を使って太陽光発電や電気自動車、先端の省エネ技術の実験場となるスマートコミュニティーを造る構想も温めている。


 国や地方にも努力の余地がある。日本の総住宅数の13%にあたる757万戸の空き家を家賃負担に苦しむ低所得層のために使えないか。半分が未利用になっている分譲中の工業団地(1万5400ヘクタール)をベンチャー外資に開放できないか。


 知恵を絞り汗をかいてストックを生かす。成熟国家にふさわしい列島のリフォームだ。

=敬称略

(「三度目の奇跡」取材班)