藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

あなたの結婚の意味。

結婚相手を選ぶ基準が分かりません、という質問。

このweb時代、結婚もこれまでではいられない、と添えられている。
ちょっと世知辛い話だろうか。

一方「結婚の条件」のような特集記事モノとか、結婚というイベントにのみ焦点を当てた出版物などもいまだ旺盛だと聞く。

<結婚に最も"重きを置く"人>
1.有る人は、結婚生活を24時間お互いを想って暮らし、もう自分の人生と伴侶の人生を同一化する、というイメージの結婚像をもっている。
最近は少ないとのこと。

<結婚は"共同生活の延長である"と思う人>
2.そしてもちろん有る人は、「一緒に暮らし、子をなす」ものの、「家族を作る」という常識的なイメージを中心に、お互いに認識の違うところ、は「その都度」話し合い、妥協し合って過ごしている。


<結婚は"契約的なものである"と思う人>
3.さらに、もっとドライに結婚を考える人は相手の経済力とか、家庭力?(家事をこなす程度とか)、相手の家柄とか家族関係なんかを「総合的に考慮」して、お相手を決めるという。

と。
ここまで読んで、なんとなく分かってきた。
このカテゴリー「3.の人」が冒頭のような疑問を持つのだろう。

『結婚は足し算と引き算を続ける行為である』と言っているように感じる。

結婚は計量できるか。

「そういう目」で見ると、結婚とか結婚生活というものを"後から計量してみる"ということは可能かもしれない。
「詮無いはなし」ではあるが、"どのくらいの生活程度だったか"ということは、現代の企業が通常実施している"CS(顧客満足度)調査"のような基準を設ければ、幾らでも分析は可能である。


既に日本では「婚姻する男女のうち1/3が離婚する」ということだから、むしろ積極的に「婚姻経験者のマインド調査」はなされるべきかもしれない。
(そして、その結果をぜひ若者に公開すべきである。なによりの後進へのメッセージではないだろうか。)


だが。
だがだが。
だからといって「自分が結婚する相手の条件」を予め設定してスクリーニングする、というのは如何にも味気なくないだろうか。
冒頭の質問の詳細はさらにリアルである。(くええ)

・相手の経済力
・相手の健康状態
・相手の親の扶養義務の有無
・相手の家系の病歴の詳細
・相手の家族との同居の有無
・相手の親族の職業
・相手の性的趣向
・相手の生活習慣(仕事・趣味・酒?)

そんな「詮無い」質問が並んでいる。
もっとも、といえばもっともか。
浪花節かもしれないが、決して婚姻というのは「そうした条件の一致」を定性的にした結果、満足な結果を得られるようなイベントではないように思うのだが、どうだろうか。
でも、相手の病歴も知らずに結婚することは無謀なのか。


ちょっと後を引く質問だった。