藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

放送と通信。

安穏と日々を過ごしていては"それ"とは分からないが、二十世紀後半からこれまで、そして二十一世紀前半の「百年のベルト」では、「それまでの二、三千年」が「文明化」という一方向を向いていたものが変わる変局点になっている。
「将来見るべき方向」がパワー強化、高速化まっしぐらだったのに比べると、ずい分新しく、地味で上品なものになるに違いない。
先進国は、そんな気分を察して「発展一本やり」の新興国を思想的にリードする必要があるだろう。

おいてきぼりの価値観。

NHKの出す「ネット同時配信案」に民放連が反対している。
放送局。"オールドエスタブリッシュ代表選手"の悪あがきである。

紆余曲折有れど、自分はネットが「最終的には著作権を骨抜きにするだろう」と思っている。
ネットと検索と、クラウドとコピペ、つまり「デジタル」はこれまでの「創作」という概念を変えつつあると思う。
著作権の話題では「そもそも原作とは何か」ということがよく話題に上る。
シェイクスピアリア王を参考にして作った現代劇は盗用になるのか、とか原作が日本書紀ならどうか、とかそれが70年以内なら有効だ、とか今ひとつ議論の論点ははっきりしない。

内田樹氏などがいち早く標榜している「転用推奨、剽窃フリー」といったスタイルが今の先進であり、次世代の標準スタイルになるのだと思う。
既得権益にしがみついている、という意識があるのなら、まだそれに気づけているうちに"自らのスタイル"を変えてみてはどうだろうか。
変化は自分からしか起こらないのだから。

NHKのネット同時配信案、民放連が反対
日本民間放送連盟は15日、NHK会長の諮問機関「NHK受信料制度等専門調査会」が7月に、放送番組のインターネット同時配信の必要性を認める提言をしたことについて「インターネット同時配信は相当なコスト負担が予想され、それを受信料全体で賄うことは、受益と負担の観点から著しく適切さを欠く」などとして、反対する見解を発表した。

(2011年9月16日01時00分 読売新聞)