藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

リーダーの神髄。

組織やリーダーに常に批判的、シニカルで、「ほら、ここが出来ないだろう」という式の反応を見せる人は、どんな組織にもいるし、また「彼ら」がマジョリティになることも決してない。
体制批判は「耳に心地よい」という共感も生むが、「そんな声」は往往にして建設的でなく、本当に「組織を引っ張る力」はないのである。
汚れても、疲れても、「現実逃避をしない」というのは組織を預かる者の重要な資質である。
「批判すれども案出さず」というのはもはや大学生レベルでも相手にされないだろう。


遂に政府の概算要求は98兆円になった。
復興関連に3.4兆が特別にあるとはいえ、おそらく今年が「最大支出の年」になるだろう。
原発、震災補償の問題は現場の声を聞けば聞くほど根深く、決して「満足のゆく折り合い」を見つける道は簡単ではないと思う。
けれどこれも試練である。

未曾有の高齢化、福祉予算を強いられる経験も初。
未曾有の震災を受け、「国」という国家でそれを「受け切る」という経験も初。
また各国の債務危機で未曾有の円高に見舞われ、その中でも「次の一歩」を示さねばならないということも初。

昔、義務教育時代にも「初めてだからできましぇん」という生徒もいれば、「やったるで」という人もいた。
もう日本の国民が「なんとなく、生命力とか、ポテンシャル」を持っていることを国民自身が認識している今だから、「世界初だが、やったるで」という決意表明をしてもよいのではないだろうか。

元々、「そういう」国民性ではないけれど、今「ここ一番」では世界中から「その登場」を待望されているようにも思うのだ。
正に「思想的、振る舞い的なリーダー」として、これまで先進国最後尾を標榜していた我われが声を上げるべきだという気がする。


もう何度目かの金融恐慌が「まるで初めてのような表情する連中」と、我われは違うのだ、とはっきり表明しても良いのではないだろうか。
事実、欧米の経済観とか市場原理とか、「ずい分これまで訝りながらついてきた」というのが日本人の偽らざる心境だろうと思う。
そろそろ"そもそも論"を持ちだす時期なのではないだろうか。
借金大国、と悲観ばかりすることもないだろう、と直感する人は意外に多いのではないだろうか。

概算要求、過去最大98兆円超に 12年度予算
2012年度予算の各省庁の概算要求が30日、出そろった。一般会計の総額は98兆円を超え、要求ベースでは今年度の96兆7465億円を上回り、過去最大となる。東日本大震災の復興関連は3.4兆円、成長分野に重点配分する「日本再生枠」にも要望が集中して規模がふくらんだ。

野田佳彦首相は復興費の要求は「青天井でもいい」として、上限を設けない方針を表明。国土交通省が東北地方の沿岸道路の整備や高台への集団移転などで計1.1兆円、環境省放射性物質の除染作業やがれき処理などで計8843億円を求めるなど、被災地のインフラ整備や原発事故対策が多くを占めた。金額を明示せずに項目だけ要求しているものもあり、総額はさらに増えそうだ。

復興費では、すでに今年度の第1、2次補正予算で計6兆円を計上。10月中の国会提出をめざす3次補正には9.1兆円を盛り込む方向だ。これに12年度予算要求の3.4兆円を加えると計18.5兆円となり、政府が試算する当初5年間の復興費19兆円をほとんど消化してしまう計算だ。19兆円を超えて復興費が拡大するのは避けられない状況だが、そうなると、所得税などの復興増税の増額が迫られる可能性も出てくる。