藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

webの人間性。

少し前、「フリー」というハーバードの書籍が話題になっていたことがある。
webのビジネスモデルを解説したもので、「無料サービス提供型」とか「広告モデル」と言われるものだった。
いまやwebのサービスはさらにSAASなどの「低価格型」も含めてこうしたスタートが当たり前になってきた。

ご多分にもれず、自分もブログやデータ共有などで幾つかの無料型webサービスのお世話になっている。
今、複数の人が情報をシェアする新しい課題にも向かっているのだが、そうしたときにwebのクラウドサービスは威力を発揮する。
また、そうしたサービスを有料で探すと、意外に「有料と無料の垣根」は高く、無料のサービスになれた自分たちには、「月額8000円」などと言われると、反射的に"高っ!"などと思ってしまう。

なれど。
なれど。
商売の仕方についてモノ申す。

クラウド型のサービス、広告表示型のサービスは、いつも「どうですか?」と"お勧め"を案内に来る。
また、ちょっとしたレトリックで「まもなくプレミアムサービスが終了します。延長しますか?」などと案内が来る。
こちらは、これまでの心地よいサービスが使えなくなるのか?と一瞬うろたえ、「延長する」などと誘導され、クレジットカード決済などをしたり。

あとから「従来の使い方であれば無料だけれど、動画とか、大容量の画像とか、音声通信サービスなどを使うのなら有料です」という案内だったと知って驚く。
無料で使わせていただいていてなんだが、やっぱり"ちょっとした"騙し"である。

日本が古来貫いてきた「御用達の精神」とは違うと思う。

よろしかったら、お足のかかる方の目録も見ておくれやす。(なぜか京都弁)

というのが、商売の真骨頂である。

今もし「はてな」が経営難に陥ったら、自分はこれまで無料で使わせてもらった分を含めて、応援する気持ちがある。
先にお世話になって、恩人が苦しくなったら「はい、さよなら」というのは沽券にかかわる。

だから、「便利に感じてもらえているなら、今後の発展のためにも『少しの有料サービス』も使ってもらえません?」と訊くのが商売の基本だろう。


どうも、今蔓延しているアフィリエイト広告とか、プッシュ型のメールとか、広告継続のウィザードには違和感を感じる。
そしてそれは、自分の世代以上の人間にとってはかなり決定的なことなのだと思う。(今の十代、二十代でもそうかな、とも思うけど)

WEBビジネスは「最初は無料で、そのうち課金へ」ということに対し、ユーザーとのインターフェイスをもう少し情緒的に考える必要があるのではないだろうか。

特にカネを払う時の人間は、みな"情緒的"であることはちまたのマーケティング論では常識である。
「少しの商売の態度」がWEB上だからこそ、「好感or嫌悪感」の決定的な分かれ目になると思うのだ。
できれば自分も「気持ちとしてこちらのサービスを受けよう」と思ってもらえる側のビジネスをしたいと願っている。