藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

健康か否かを決めるのは精神。

近代社会の人口の1/3から1/2の人は「疾病か病理的な状態」にいるという。
本当だろうか。
といえば、自分だってなにか精神的な疾患の「とば口である」と言われればあまり反論する余地もない。
要するに現代は皆が「精神的に病むことを恐れつついる社会」なのだろう。
これが陰陽師のいた平安時代なら、物理的な脅威だったに違いない。

それはともかく。
「健康性志向」という言葉が目を引いた。
本当に健康かどうかはともかく。
まず「その精神」が健康でいられるかどうか?である。

・物事を予測しうるものとしてとらえる力
・困難を処理していけるだろうととらえる力
・物事には意味があると考える力

以上。
これはなんと「自分次第」のことばかり。
いくら辛い境遇でも前向きに過ごす人に自分たちはしばしば驚嘆するが、それはこうした「消化する力」が高いためだと思う。

逆には「ポッキリと」、ごく簡単な抵抗にも折れてしまうのも、すべて「心の問題」なのである。


そうすると、結局人間にはそうした「"しぶとさ"が備わっているかどうか」というのは大きな問題で、自分の世界の閉塞感に苛まれてしまうと、思わず自死してしまったりもするのだと思う。

他人のあまりに図太く、過去を顧みない行為に自分たちは時に辟易したりもするけれど、結局「自分の行為をリアルに顧みるのは自分」である。
「自分の過去」を自分自身で肯定的にとらえる、ということこそが「自らの延命」でもあり、また「成長の要」でもあるのだと思う。

奢らずにそうした精神を持ち続けることを考えたいと思う。

2013年2月25日
健康でいられる心の持ちようとは?
 ユダヤアメリカ人の医療社会学者、A.アントノフスキーは、近代社会はいつの時代でも人口の少なくとも3分の1から過半数の人は疾病か病理的な状態であると述べている。そして、健康なグループにいるか、そうではないグループにいるかは、単にストレッサーが少ないか多いかによるものではないと述べ、その要因として「健康生成志向」があるか、ないかが重要としている。
 こむずかしい言い方なので簡単に言うと、つまり、大変な状態にあったり、ストレッサーが大きかったりするから病気になるのではなく、健康でいられるか否かは、その人の持つパーソナリティー、すなわち、「健康生成志向」にかかわっているということなのです。
 これって何?と思いますよね。ストレッサーを病気の引き金とするのではなく、それを乗り切る力である健康生成志向の3つのキーポイントは、
・物事を予測しうるものとしてとらえる力
・困難を処理していけるだろうととらえる力
・物事には意味があると考える力
 だとしている。ちょっと分かりにくいので簡単に言うと、例えば、
・普段考えが混乱することが少ない
・自分はダメな人間だとは思うことが少ない
・自分のしていることに明確な目標を持っている
 などの特徴が「健康生成志向」の要素と言えるとされています。
 言葉を換えれば、
 大変なことがあっても自分は何とかそれを乗り切っていける。嫌なことも自分にとって必要な体験ととらえることができる。そして、自分のしていることに楽しみを感じられる。こうしたことが「健康生成志向」と言えます。
 健康生成志向は慢性心疾患の罹患(りかん)率、病気欠勤率、死亡率ともかかわっているとされています。来週はこうした志向性と職業との関係についてお話しします。