藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

どちらに立てるか。

昨日の上原ひろみさんの対談記事の反響が大きくて驚いた。
イチロー選手とか羽生名人とか、自分たちはとかく、「その分野の頂点を極めた人」の話を聞きたがる。
自分の本棚にもそうした「ノウハウ系」の本がずらりと並んでいる様子は、なかなかに恥ずかしいものがある。
いかに自分が「安直に結果を求るヤツか」ということを率直に表している。(かっこ悪)

そして、どの成功体験記も「ある日突然勝利の神が降臨し・・・」というようなものは一切なく、むしろ「(結果が)確実に約束されてもいないのに、地味な基礎練習を気の遠くなるような年数続けて現在に至る」というものばかりなので、いい加減に気づいてもよさそうなものだが、まあゴシップと同じく人の成功談というのは、人を惹きつける魔力を持っているようだ。

hurdle【名】
1. 障害物{しょうがいぶつ}、困難{こんなん}、〔競技用{きょうぎ よう}の〕ハードル
【他動】
1. 〜を飛び越す、乗り越える
2.

また自分たちはみな「ストレスのコントロール」とか「プレッシャー」に悩んでいるようである。

それ(高いハードル)を越えた時に必ず新しい風景と出合えるからです。その期待感がものすごく大きいので。

という部分に共感する意見が多かった。
高いハードルを目の前に"ゲンナリ"してしまうこともあると思うが、それを"ワクワク"という真反対のものに変えてしまうあたりが非凡である。

そして「それは限られた才能の持ち主だから」という理論設定ではなく、「そう思うことは誰にでも可能」という具合に思考回路が組めれば、自分たちの日常も途端に「景色が変わる」可能性がある。

ついつい「できない理由」を探すインテリが多い世の中だが、"常に「次のハードル」を越えてやる"という気概を持ちたいものである。

しかも多分、年齢は関係ないだろう。