藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

歴史の編纂。

リンカーンは必ずしも奴隷制度を否定していたわけではなかったという話。
「天ハ人ノ上ニ人ヲ作ラズ」の福沢諭吉も娘の縁談に際しては、身分の差を非常に気にしたというし、「人種の平等についての観念」と実際の日常生活の間には、相応の温度差があったようである。
リンカーン福沢も、恐らくその当時の常識からすれば、卓越した発想力があったのだろう。

リンカーンは「奴隷制度廃止」を掲げて連合との"講和の芽"を摘み、最後まで戦争で争い決着をつけるための策だったというのだが、それにしても南北戦争の死者は62万人と超弩級である。

日本は当時幕末で、やはり国内各所で内戦をしていたというが、それにしても徹底的に戦って決着をつけるスタイルをとってきた米国と、最終的にはギリギリのところで「無血」に近い形を切り開いてきた日本は、現在の性質がよく表れているではないか。


先進国はその後、徐々に内戦を避け、外交や宗教上の対立に移行している。
大戦もまだ五十年そこそこ前のことだから、もう少しすれば、今の中東情勢とか毎日のようにおこるテロなどについても「融和への糸口」が今世紀には見つかり、22世紀の世界地図は過去にない先進的なものになっていて欲しいと思う。

ただ、世の常としてもう「人間が表立って諍い」をしない世界では、今度は自然や資源との戦いが待っているのではないだろうか。
まったくのユートピアというのはそう簡単には訪れないような気がするのである。
けれども人間は進化していると思いたい。

(文化の扉 歴史編)人種差別主義者だった? リンカーン

奴隷解放の父」と言われ、そのために南北戦争を戦い抜いたとされる第16代米大統領エイブラハム・リンカーン。だが実際は、人種差別的な見方から抜け出すことができなかった。
 リンカーン(1809〜65)は、米ケンタッキー州で生まれた。郵便局長などの職を転々とし、イリノイ州議会議員に。一時、弁護士となるが、60年に共和党の大統領候補指名を受けて選挙戦を勝ち抜き、第16代の米大統領に就任した。
 だが、奴隷解放論者であるリンカーンの就任は綿花栽培で奴隷を必要とした南部の諸州を硬化させる。サウスカロライナ州などがアメリカ合衆国連邦から脱退。61年2月には、11州からなる南部連合が誕生した。
 同年4月、サムター砦(とりで)の戦いを機に連邦と連合の間で南北戦争が勃発するが、リンカーンは「奴隷解放予備宣言」(62年)、「奴隷解放宣言」(63年)を発表しつつ正義の戦いを完遂。400万人に及ぶ奴隷を解放し、「全ての人間は生まれながらにして平等」との米建国の理念を体現したとされてきた。
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 だが、こうしたリンカーン像は、やや修正が必要らしい。
 連邦政府にとって、南北戦争の本来の目的は奴隷制廃止ではなく、連合の合衆国への再統合を果たすことだった。
 リンカーン自身、知人にあてた手紙(62年)で、「この戦争における私の至上の目的は連邦を救うことにあります。奴隷制を救うことにも、それを滅ぼすことにもありません。もし奴隷は一人も自由にせずに連邦を救うことができるのなら、そうするでしょう」と書いている。
 奴隷解放宣言も、連合が受諾できない「奴隷制廃止」というハードルを示して講和の芽を摘み、戦争を最後まで遂行させようとの意図があったとされる。
 リンカーンは黒人と白人は異なる存在と考えていたようだ。民主党候補との論争の演説(58年)でも「私は現在もこれまでも白人と黒人の間に社会的・政治的平等をもたらすことを好んだことはありません」「私はここにいる誰もと同じように、白人に与えられている優等な地位を保持することを好んでいるのです」などと述べている。
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 しかし、都留文科大学教授の大森一輝さん(アメリカ黒人史)によると、このような考え方は当時、ごく一般的なものだった。「科学という名のもとに、黒人は生まれつき怠け者だとか、白人より体力がないといった議論がまことしやかに行われていた。当時の政治的文脈の中では、人種平等に触れること自体、難しかったんです」
 戦争終了後も黒人たちは過酷な状況に置かれた。「解放で形の上では対等になったため、逆に黒人を日常的に抑えつけなければならなくなった。物理的・精神的圧迫感は時代が下るにつれて増したと考えられます」
 米で人種差別撤廃をうたった公民権法が成立するのは1964年。ほぼ100年の歳月が必要だった。
 南北戦争の死者は第2次世界大戦の米軍死者を上回る62万人。都市の徹底破壊や殲滅(せんめつ)戦が行われるなど近代戦の幕開けとなった。「正義の戦い」を声高に叫ぶ点など、米の戦争の原型がそこでできあがったとみる研究者もいる。リンカーンこそ、現代に至る、アメリカの光と影を培った大統領と言えるのではないか。(編集委員・宮代栄一)
 ■読む
 高木八尺斎藤光訳『リンカーン演説集』(岩波文庫)は著書を残さなかった彼の思想に迫る。内田義雄『戦争指揮官リンカーン』(文春新書)は、南北戦争の分析を通じて、米にとっての「正義の戦争」を解き明かす。
 ■見る
 公開中の映画「リンカーン」(S・スピルバーグ監督)は、奴隷制廃止のための米憲法修正第13条が下院議会で可決されるまでを描く。昨年公開の「リンカーン 秘密の書」は吸血鬼と戦うリンカーンを描いた娯楽大作だ。
 ■訪ねる
 リンカーンが暮らした米イリノイ州スプリングフィールドには記念の「エイブラハム・リンカーン大統領図書館・博物館」がある。暗殺現場となったワシントンDCのフォード劇場は観光名所となっている。
 ■そのころ日本は
 リンカーンが活躍した19世紀前半は江戸時代の終わりごろに相当する。天保の大飢饉(ききん)(1833年)や、大塩平八郎の乱(38年)などが相次いで幕政が揺らぐなか、老中・水野忠邦は、綱紀粛正と幕府の財政再建を目指して天保の改革を断行。しかし、大名・旗本の領地を取り上げる上知令などへの反発から、43年に解任され、改革は頓挫した。
 53年、ペリーが米艦隊を率いて浦賀に来航。66年に一橋慶喜が幕府の15代将軍に就任すると、幕末の動乱はその慌ただしさを増してゆく。
 ◆次週は「向田邦子」の予定です。
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 「文化の扉 歴史編」は月1回、掲載します。