藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

自分の遺伝子。

今の自分を決めているのは、どういう原因があるのか考えてみたりする。
まず自分はどこで、誰からうまれたか。
そして、どういう教育をうけ、どういう経験をしてきたか。
そして、一番重要なのは「これまでに至る、数々の"判断の場面"では、自分はなにを根拠に選択をしてきたのか?」ということではないだろうか。
自分の行動の発露が「金とか富」なのか「地位や名誉」だったのか、それとも「恩や義理人情」なのか、あるいは「社会正義」という人もいるだろう。
実は自らを規定するのは、自らの行動の基準や、価値観以外何物でもないだろう。

自分の過去は、明らかに自分自身の軌跡であり、自らの映し身である、とおもう。
学業とか仕事とか、家族とか友人とか、異性とか恩人とか。
何か重要な人生の岐路に立ったとき、行く先に甘い夢を見るのではなく、自分のこれまでの足跡をしっかりとレビューして、自らの立ち位置を確認するべきである。

これは、「そういう状況にある他人」を見ていると、容易に気づくことなのだが、こと自分の身に起きると途端に我を見失い、思わぬミスチョイスをすることがある。
そうした自戒のつもりで書き留めておきたい。