藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

常に逆風の中へ。


別に成人してからでも、中年になってからでもいい。
何か生涯を通じて一つ、習い事をしたほうがいい、と最近思うようになった。
それもできれば「本業」にあまり近くないほうがいい。

自分の専門性を影響することなく「全然違う立ち位置に身を置く」という感じ。

そこに行けば精神的な道着を着て、姿勢を正し何のしがらみもない「ただの人」になる。
自分の行く先は多分「一本の線」で、そこには近道もないしスキップもできない。
途中で別の支線に分かれたりもするけれど、また本線に帰ってくることもほとんどだ。

求道という言葉があるけれど、ある道を追求するのはそれはそれで大変な努力と苦労を要するし、何よりも「それそのもの」が目的になってしまう。

それも一つの生き方だと思う。

ただそれとは違う「習い事」というのは大袈裟に言えば「恰(あたか)も一身に二生を経る」というくらいに貴重な方法なのではないだろうか。

(つづく)