藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

快適が指標(3)

*[ウェブ進化論]とらわれのない時代で。

それにしても「恋愛」とか「繁殖」という生物の本能的なものが「果たしてそれは合的ですか?」と問われると確かに返答に困る。

もともとそれが本能なのだから、あまり疑いを挟まなかったけれど「それが果たして合理的なものかどうか」と改めて考えてみるとなんともいえない。

 

人が異性を探し、恋愛し、番(つがい)になって子供を宿し、何年もかけて育てて自らの一生を終える。

こういうライフサイクルは、一見当然の営みのようだが、視点を変えて「今からそういう生涯を送りたいかどうか」と若者の視点で見ると疑問が湧いてくるのも理解できることである。

「人間は本能的に子孫を残すものだ」とか「(一夫一婦制の)家庭を持って子供を専心して育てるものだ」というのはこれまでのスタンダードに過ぎないのかもしれない。

 

家庭を持たない自由、とかジェンダーフリーとか、事実婚とか、多夫多妻制とか、実はいろんな選択肢があるはずで、今までは形式的に「そうした多様性」を押し殺してきた時代だったのではないだろうか。

 

多産であれ、一人暮らしであれ、ようやく「自分なりの模索」が許される時代になりつつあるのだと思う。

これまでは「型にはまらないと息苦しさを感じていた人たち」が、ようやく自由に呼吸をして自分たちの行く先を考える時代に入ったのではないだろうか。

 

それだけ豊かな時代になったのだと思うが、なのでこれからは自分で考えましょう。