藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

空白の喜び。

先日、予定が急きょキャンセルになり、まるまる四時間もぽっかりと体が空いてしまった。
実は自分はこういうのが大好きで、「さあ、何をして過ごそうか…」とワクワクして仕方がない。
折しも新橋駅前には古本市が催されており、なかなか賑わっている。
古いアイドルの写真集や、古地図とか、大日本戦争史、印刷辞典、司馬遼太郎全集に、、もちろん漫画も置いてある。
うしし。

天のめぐり合わせか、昔目にして買わなかった天池真佐雄さんの「ピアノのひき方」を700円で発見し、そのままカフェに突入する。
うししし。

ヘタの横好きで、この類の書籍を見るとついつい買ってしまうのだけれど、巻末を見ればずい分色々出版されているものである。
L.クロイツァーの「芸術としてのピアノ演奏」とか、M.ブレー「レシェティツキー・ピアノ奏法の原理」なんてタイトルだけで難しそうだけれど、これを契機に少し当たってみることにした。
指の練習でもしてればよさそうなものだが、理論への興味が尽きない典型的なアマチュアなのであった。(嘆)

それにしても、この「時間の空白感のうれしさ」はどこから来るのだろう。
普段、それほどがんじがらめに拘束されているわけでもないのに、突然あいた時間の谷間はとても
貴重なプレゼントに思えて仕方がない。

思えば、自分たちの生活は「予定ありき」では本来なく、「時間ありき」でさてこれからどう過ごそうか、と考えることが本筋だったのかもしれない。
人との関係するアポイントとか、決まりごととか、そういうことではなく過ごす時間、というのが本来の我われの生活スタイルの基本であり、だからそういう「時間ありき」の瞬間に何とも言えない嬉しさを覚えるのかもしれないと思う。

結局この当日は、新橋の老舗喫茶店で、たっぷり二杯の濃いコーヒーを堪能しつつ、こんな記事を書いているのであった。
気持はとっても満足である。