藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

万国共通。

ちょっと品のいい飲み屋などに行って、興が乗って来ると下ネタ、というかトイレネタ、というのは一定の支持を得ていることに気づく。

誰もが持つ共通の話題ゆえ、一旦「ある壁」を乗り越えてしまえば実に共有しやすい話題なのだった。(笑)

暮らしがいつ近代世界に入ったと思うかと尋ねられたら、間違いなくわたしはトイレが水洗式になった日だと答えるだろう。

そうである。
そうなのだ。
自分の幼少期は和式トイレ〜洋式トイレの移行全盛期だった。
それから便座にカバーがついたり、便座にヒーターがついたり、はたまた便座にクリーナーが備え付けられたり、と発展していった。

だが何より次の革命はウォッシュレットである。
先日米国より来日したご夫婦は、共に「初ウォッシュレット」を体験して驚愕していた。

アメリカ他、諸外国では高級ホテルでも未だ導入ブームの端緒に付いたばかりだそうで、ついに全世界的にウォッシュレット文化が広がるのだろう。
トイレ先進国にいる幸せを改めて感じざるを得ない。

それにしてもこういう「トイレ意識の高さ」というのはどういう文化的な経緯から発達したものなのだろうか。
日本の何か文化の構造が根底にあるような気がして仕方ないのである。

(ザ・コラム)世界トイレの日 インドを変える脱・野外 柴田直治
インドの世界遺産タージマハールのまちアグラへは、デリーから片道4車線の高速道路が快適だった。サービスエリアのトイレを観察する。個室にはホース式の洗浄機がついている。一部で便座がなく、水の流れない便器もあったが、まずは合格点だ。

私は学生だった1977年、がたがた道をバスでアグラへ向かった。道中便意を催し、休憩時にトイレを探したが、ない。

致し方なく藪(やぶ)に飛び込んでコトを済ませ、リュックから紙を取り出そうとした瞬間、野ブタがうめきながら私の排泄(はいせつ)物めがけて突進してきた。私はしゃがんだまま必死に逃げた。野外でしたのは人生初。恐怖が頭に焼き付く痛烈な体験だった。

36年後の今月、インドにトイレを訪ねる旅に出た。何となれば19日は、国連が今年定めた「世界トイレの日」。トイレのない場所でせざるを得ない人々を減らし、公衆衛生を向上させようとの趣旨だ。

国連などによれば、適切なトイレがあれば毎年20万人の子どもの命が救える。世界で25億人がトイレにアクセスできず、11億人が野外での排泄を余儀なくされている。うち6割はインドに集中する。世界最大の民主主義国家がトイレ問題の中心にいる。
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そんなインドで、短期間にトイレを全戸に設置し「脱・野外排泄」を達成できそうな県があると聞き、デリーから列車と車を乗り継いでタール砂漠のラジャスタン州を訪ねた。チュル県チャンゴイ村。乾いた大地をラクダや水牛、ヤギがゆったり歩く。

点在する家々には確かに真新しいコンクリート製のトイレが建てられていた。天井にタンクを置き、井戸水をくみ上げる。

「人生が変わった」。主婦のムケッシュさん(25)はベールの隙間から、トイレが完成した2カ月前の感激をぼそっと語った。それまでは暗いうちに起きて、1キロ以上も歩いて空き地をさがし用を足していた。臭くて危険。トラックの運転手にたびたび下品な言葉を投げかけられる。隣村にはレイプされた女性もいるという。

デビ・ラム村長(60)らによると、人口3870人870世帯のうち、今年に入って45世帯が一気にトイレを造ったことで全戸の設置が確認され、県から表彰された。

人口約200万人900村の県で約半数がすでに「脱」を宣言した。来年3月までに全村に広げるという。ロヒット・グプタ県長官(31)が就任直後の昨年12月に始めた「チョコ(美しい)チュル」運動だ。

公衆衛生の臨時スタッフを短期に養成し、村々に派遣。トイレの大切さを説く。住民が自宅に建設すれば、労賃を払い、完成時には国庫から約1万5千円の補助金を支出する。役所の職員とボランティアの村民が巡回し、野外でする人がいなくなったと確認すれば、村は「脱」を宣言する。

グプタ長官は名門インド工科大卒。ドイツに留学し、モトローラの関連会社に勤めたが1年で退社。やりがいを求め公僕の道を選んだ。「トイレの建設もさることながら、習慣を変えることが大切。野外の方がリフレッシュする、家を汚さなくて済むと考える人はまだ多い。村人のプライドを尊重しながら事業を進めたい」

脱野外戦略のプレゼンが公衆衛生担当のジャイラム・ラメシュ地方開発相に評価され、チュルでの実践を任された。

そのラメシュ大臣は22年までに野外排泄を全土でなくすとの目標を掲げる。昨年10月に「わが国でトイレは寺院より大切だ」と発言すると、野党はこれに猛反発、ヒンドゥー至上主義者から自宅に小便入り容器が届いた。めげる様子のないラメシュ氏だが一方で「いまだに国民の64%が野外で排泄している。世界最悪だ」と現状を嘆く。

政府が衛生プログラムを初めて策定してから27年。核兵器を開発し、人工衛星を飛ばすIT大国の国民の半数以上がトイレのない暮らしをする。おかしくないですか。出会ったインドの政治家や役人にぶつけると、一様にぶぜんとした顔つきになり、そこでは「途上国」を強調する。
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トイレで人生が変わる体験は、地域や貧富を超え戦後のアジアで共有されている。
「西欧による世界史支配の終焉(しゅうえん)」を唱えるシンガポールの元国連大使キショール・マブハニ氏(65)は著書で子ども時代を振り返る。「暮らしがいつ近代世界に入ったと思うかと尋ねられたら、間違いなくわたしはトイレが水洗式になった日だと答えるだろう。その日、わたしの生活は、魔法のように変化した。前よりも尊厳ある人生を送れるような気分になり、いつ来客があっても前ほど困惑せずにすむようになった」

南のアジアが発展した最大の原因は冷房の普及にある、と私は考える。暑さから人々を解放し、より長時間の勤務や思考を可能にした。原因が冷房なら、結果は水洗トイレ設置の広がりではないだろうか。

外国でトイレの汚さに眉をひそめる日本人は多い。とはいえ日本も国鉄のトイレなど相当ひどかった。10年余前まで垂れ流し式の列車も走っていた。そんなことを思い出しながら、インドの列車のトイレをのぞくと、やはり穴の下で枕木が走っていた。
 (国際報道部機動特派員)