藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

徳洲会事件の考察。

徳洲会徳田虎雄氏についてのコラム。

自分も周囲に徳田氏と仕事を共にした人から、よく直接聞いたことがある。
私心なき、志に燃えた情熱家であったという。

「自分にとって政治は医療改革を実現するための手段だ。選挙に勝たなくては病院を造れないのだから、選挙資金は医療改革の経費だ」

今の政権与党の利権構造を見れば、何か(例えば厚労省を頂点とする医療改革など)をブレイクスルーするにはこうした考えも"あり"だと自分は思う。
国税局が課税を諦める、という信じ辛い結果もそうした「執念」こそが生んだ結果であったろうと思う。

それにしても、残念なのは「志の承継」である。
どれほど素晴らしい動機と、素晴らしいアイデアも、時代とともに色あせるものである。
特に政治や行政の改革などには時間がかかる。
十年、二十年と経つ中で、自分だけがイノベイターであり、誰が賛同者なのか、敵味方が分からなくなるだろう、ということが推察される。

イノベーションを起こし、また時には挫折した人を「叩く」論調は多い。
今のマスコミも世論もそんな劇場型ではないかと思う。
しかし本当に「法を犯して」まで、もちろん「私欲なく」、挑める人はそれほど多くない、と自分は思う。

今の「結果」についての功罪は、今の法律に照らして大いに結構だと思うが、そもそもの徳洲会の持った志や、今の行政・厚労省の問題提起についても一緒くたに「過去のもの」としてはならない。

今は逆風だが、こうした中でも、ニュートラルな報道をぜひマスコミには期待したいものである。

【父子の野望−徳田虎雄氏の「功」と「罪」上】「選挙資金は医療改革の経費だ」大義のために法を犯す
2013.11.13 13:42
 徳田虎雄昭和13年兵庫県生まれ。2歳で鹿児島県の徳之島に移住したが、家は貧しく、病気の弟が医師に診てもらえずに亡くなった経験から、医師を志すようになったという。
 大阪大医学部を苦学で卒業し、48年、生命保険金を担保に借金をして最初の病院を大阪府松原市に開院。これを起点に「24時間診療」「年中無休」など、自らの理想をかなえる病院を全国に設けるという壮大な構想に向けて走り出す。
 「しかし、行く先々で地元医師会と対立するなど逆風に遭い続け、医療をよくするためには政治しかないと衆院選立候補を決意した」(元側近)
 58年、初めての選挙で奄美群島に帰った虎雄は、金権選挙の風土に直面し、人間不信に陥ったという。
 「金がいくらあっても足りなかった。島の人たちが次々と金をもらいに来た。理事長(虎雄)は日中外に出なくなった。太陽がまぶしいんだと、ノイローゼ気味の状態で夜、戸別訪問に出かけていった」(同)
自ら運んだ札束
 2度の落選を経た平成2年、虎雄は号令をかけた。「金を敷き詰めろ」。徹底した買収選挙で、「30億円近くの裏金」(同)を選挙区にばらまき、ついに念願の議席を獲得した。
 「理事長自らが札束を袋に詰めて奄美に運んだ。空港のX線検査で札束が見つかり、検査官がのけ反って驚いていた」(病院幹部)
 買収など裏の選挙運動の資金は、主に病院の経費から捻出したほか、高額医療機器の調達先、病院建設を請け負うゼネコンからのリベートもすべて注ぎ込んだという。
 選挙のたびに大阪国税局の税務調査を受け、病院から選挙資金を捻出していたことが問題になった。
 虎雄は国税の調査官に、国中に病院を造るという夢を延々と説いて聞かせたという。「自分にとって政治は医療改革を実現するための手段だ。選挙に勝たなくては病院を造れないのだから、選挙資金は医療改革の経費だ」と訴えた。
 実際に裏金は右から左で選挙に使われており、私的な蓄財が見られないため、脱税罪での刑事告発は見送られたという。
 「大義のために必要なら、法を犯してでもやってしまう。やった後で考える。そういう男だから、あれほどの行動力があった」(野党衆院議員)
 病院職員を「兵隊」として駆り出す選挙運動のシステムも、落選を重ねる中で虎雄が編み出したという。
 「各地の病院にいる島出身の職員が、選挙になると皆帰ってきて組織づくりに走り回ったのが原形だった。全国に候補者を擁立した自由連合の選挙運動によって、全国の病院職員が選挙マシンとして鍛えられ、総動員選挙の仕組みが完成された」(病院元幹部)
 選挙区にある徳洲会病院の職員採用面接では、「あなたは政治活動をできますか」と必ず質問する決まりだったという。
「逃げろ」が口癖
 買収選挙は毎回のように多くの逮捕者を出した。買収を指示した虎雄を守るために、関わった職員らは逃亡を余儀なくされた。
 「病院職員たちは投票当日になると即刻、選挙区を離れるよう指示された。開票が進む頃にはもう誰もいない。理事長は『とにかく逃げろ』が口癖だった」(奄美出身の職員)
 指名手配され、長期間の逃亡中に妻を病気で亡くすという悲惨な体験をした職員もいたという。
 「すべては選挙のため、多くの職員が法を犯し、家族を犠牲にしてでも尽くした。これが将来、国民のためになるという理事長の理念を信じたからだった。彼らの力の上に巨大な徳洲会王国が築かれた」と元側近は語る。(敬称略)

 「医療革命」を志し、巨大医療グループ徳洲会を一代で築きながら、公選法違反事件を主導し、容疑者となった徳田虎雄氏。どこで道を誤ったのか。虎雄氏を支えてきた男たちの言葉でその軌跡をたどっていく。(徳洲会取材班)
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