藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

時代を感じる力。

特定秘密保護法案についての、朝日の連載より。
こうした連載を汲むのが朝日新聞主導であるあたり、今の若い人に感じてもらいたい部分だけれど、それはともかく。

悔しいけれど、年を取り、歴史を経験している人の言葉ほど重い。

文太さんの言う「やがて負け戦になっていくと世の中の雰囲気が変わった」という一言の重さは、戦争を知らない子供たちには跳ね返せないものがあると思う。
憲兵が街を闊歩し、本当に「言論が統制された時代」を自分たちは知らない。

だから、今の政権が「国の情報をコントロールしよう」ということにあまり危機感を持たないのではないか、ということを気づかされるコメントである。
そう、自分たちは「本当の地獄」を知らないのであろうと思う。

そしてまた、「そんな時代」を過ごした人は声高に「自由の大切さ」を口に出すけれど、これまた「ぬるま湯世代」にはなかなか伝わらない。

自分は、今回の法案が成立して、運用されたとしても、日本がそのまま「戦前状態の情報専横時代」には戻らないのではないか、と思っているのだがそうした感覚こそが「見識の甘さ」なのかもしれないと、文太さんの話を読んでいて思う。

「辛さを経験した人にしか語れない言葉」というものを感じてしまうのである。
自分たちは、これからの時代、さらに「だからどうするのか」ということを自分たちで選択してゆかねばならない時代に入ってゆく。

もう「強烈な体験をした先輩の言」を聞いていればいい時代は終わろうとしているのである。
特定秘密保護法案についても、今の若い世代が、我が事として色んなことを考える材料にしてもらいたい。

本当の問題はこれから起こるのに違いない。

(秘密保護法案)時代にそぐわぬ物騒さ 菅原文太さん
■俳優・菅原文太さん

* 法案への意見投稿はこちら

 なんとも言えない違和感をおぼえています。「特定秘密保護」という物騒な言葉に。戦争を知らない世代は、そうは感じないのでしょうか。
 小学生の時に太平洋戦争が始まり、やがて負け戦になっていくと世の中の雰囲気が変わったのを覚えています。腕章を着けた憲兵が街を歩き、大人たちはものを言わない時代でした。
 いろんな問題はありますが、今の日本はまだ平和です。国内に不穏な動きがあるわけでもないのに、何の必要があって時代にそぐわない法案が出てきたのか。
 政権は憲法改正を(憲法改正案の発議要件を定めた)96条から始めようとしたが、うまくいかなかった。この法案で危機感をあおり、改正につなげようとしているのでは、と考えてしまいます。憲法は、戦争に敗れた日本人にとって「精神的財産」と言っていい。改正には大反対です。
 自由がなくなり、窮屈になってはいけないからです。
 私の故郷である東北の東日本大震災の被災地では、今も仮設住宅で暮らしている人が多い。こんな法案の審議より、政治がいまやるべきことはほかにあります。
 廃案に追い込むのは簡単なことではないでしょう。それでも、思想や考え方の違いを超え、一人ひとりの国民が考えて声を上げなければ。そのための「接着剤」の役割を果たせたら、と思っています。