藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

健康寿命について

さて、日野原先生の講演より。

人生は皆さん自身がデザインするもので、他人がデザインしてくれるのではないのです。

の一言でまず第一節は終了してしまったのだけれど。
世界一の長寿国とも言われる日本で、超高齢化が最大の関心事でもある。

平均寿命は、
1947年には男性が50.06歳、女性が53.96歳だったのが、
2012年には男性が79.94歳、女性が86.41歳になりました。

さらに「寿命」だけではないというお話である。

老人の数が増えてきて、100歳以上の老人の数は、半世紀前の
1963年には153人だったのが、
2013年には54397人になりました。

そして、「健康寿命」という概念。

日本の男性の平均寿命は約79歳なのですが、日常的に介護を必要としない「健康寿命」は約70歳なのです。女性の場合の平均寿命は約86歳で、「健康寿命」は約73歳です。

つまり健康寿命、は意外と短い。
もし80歳超まで生きるのが自分たちのトレンドだとすれば、十年以上は「日常的な介護」が必要な将来を自分たちは生きてゆくことになる。

漠然と「介護が要るかも」ではない。
統計的に男性は9年。
女性は13年。
介護が必要になるだろう将来を自分たちは生きていかねばならない。

そう現実を前にすると、その9-13年をいかに「自分なりのケリをつけて」全うするか、ということは、こと現実の「仕事の問題」と同様の具体的で「解決すべき」問題になってくる。

出来るだけきれいな、というか「自分なりに納得できる終末」ということを具体的に考えておくことは、実は「今の一日を生きること」にも通じると思う。
長寿がもたらす人生は、最終的に死生観とか、自分の生き方も考えさせてくれるのである。

最後の10年に納得できる結論をつけたいものである。

日野原重明さん講演「心豊かな人生をデザインする」
講演(1)健康で長生きするための5つの習慣
100歳を超えても現役医師として活躍する聖路加国際病院理事長・日野原重明さんの講演会が11月8日、東京都八王子市のオリンパスホール八王子で開かれました。内容を詳しく紹介します。
日野原重明(ひのはら・しげあき)さん 1911年10月4日生まれ。山口県出身。ターミナル・ケア(末期医療・介護)の充実、「患者参加の医療」を提唱する一方で、医師・看護師の育成、予防医学や健康教育の普及など、現代医療の改善に向けて尽力を続ける。「成人病」にかわる「生活習慣病」という新語の提案者でもある。
 54年には、民間病院として初めて聖路加国際病院に人間ドックを開設し、全国への普及を進めた。94年、日本で初めての独立型ホスピスを開設。2000年、75歳以上の元気な老人のために「新老人運動」を提唱し、高齢化社会にあって注目を集める。その一方で、ベストセラー絵本「葉っぱのフレディ」を音楽劇にするなどの活動も行う。05年に、文化勲章を受章。07年からは、日本ユニセフ協会大使も務める。


ただ長生きするだけでなく…
 本日は「心豊かな人生をデザインする」というテーマで講演しますが、人生は皆さん自身がデザインするもので、他人がデザインしてくれるのではないのです。
 私は、10月4日に102歳の誕生日を迎えましたが、日本人は、どんどん長生きするようになってきました。
 平均寿命は、1947年には男性が50.06歳、女性が53.96歳だったのが、2012年には男性が79.94歳、女性が86.41歳になりました。
 老人の数が増えてきて、100歳以上の老人の数は、半世紀前の1963年には153人だったのが、2013年には54397人になりました。
 日本の男性の平均寿命は約79歳なのですが、日常的に介護を必要としない「健康寿命」は約70歳なのです。女性の場合の平均寿命は約86歳で、「健康寿命」は約73歳です。
 「皆さんは、ただ長生きをするのではなくて、健康で長生きするにはどうしたらいいのか」ということを考えてほしいのです。
健康の秘訣とは ここで、健康の秘訣(ひけつ)についてお話ししましよう。
 「健康」という言葉の語源ですが、漢字の「健」の字は「イ(人偏)」+「建」で、「自分の足でしっかり立つ」ということです。「康」の字は、徳川家康の「康」で、バランスを取るという意味であるのですが、心が平静であって安寧であるということです。「健康」ということは、体だけでなく、家康の「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」という言葉のように、平静な気持ちが大切なのです。
 私は、生活習慣病という言葉を、日本で初めて使いました。
 どう食べ、どう呼吸し、どう運動し、どう休み、どう仕事をするか…この5つが、生き方の習慣で大切なことであります。
 中壮年からの生活習慣の形成が健やかな長寿へとつながるということが、私の経験から言えることであります。
 孔子は「論語」で「性相近し、習い相遠し」と言っていますが、人は生まれた時は、誰でもみんな同じだけれども、習慣が違うと、大きな差がでてくるという意味です。