藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

どこからが思考か

・俗に博学、などというけれど。
自然科学のこととか、統計のこととか、文学や歴史、政治や人類学のこととか。
そうしたことに通じている人は「教養がある」という言い方をする。

最近はコンピューターに膨大なデーターを蓄積し、人間と競わせる、という試みがそろそろ「面白いステージ」になってきたようで、いよいよ機械も賢くなってきたのは確かなのだけれど。
人工知能の研究者の話などを聞いても「知能とはなにか」ということがよくわからない。
それは、脳科学者に聞けば「脳のことがまだ分かっていない」ということと同義だというのだが。
そして、生命科学者は「命とは何か」がいまだ不明であるからだろう、とも。
コンピュータのように「予め設定されたコード」に基づいて「答えを引き出す」ということと「人が考える」ということにはどれほどの違いがあるのだろうか。
人の知識だってそもそもは「既定の断片」でしかないはずなのに、それぞれが関係しあっていつの間にか"知識"になってゆく。
その「関係の仕方」が解明されればそれが知能なのだろうか。
そう言えばいくら博学な人でも、自分の意見を持たない人はあまり周囲から尊敬されないものだし。

宗教学者は"命とは神の創造し賜うたもの"という一言で結論を付けてしまうところでオチがついたり。

科学的に生命の何たるか、はそのうち研究も進むと思うが、もっと現実的なことでの「知識と思考」ということについて不思議に思うのです。