藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

思考停止の恐怖

結局頭から「少子化はよくない」なぜなら「今の社会保障が負担しきれないから」とか「女性の高学歴化が進むから」とか「経済成長が損なわれる」とか。

どこまで「自分の側」からものを言わないのか。
というか、今の若者をそうした身勝手な存在と、大人たちは言うけれど、自分が今十代なら確実に「ジジイたちが勝手言ってんじゃねーよ」と言い返していると思う。

年金制度を「世代間扶養」に転じたのは田中角栄だという話だが、その世代の有権者全員の責任である。
これから出生してくる子たちが「一人で高齢者二人分の生活、頼むわ」とか「さらに独身者にも補助をお願いね」と言われたなら理不尽な思いは避けえず、協力も得られないに違いない。
「お前たちを育てるには学校教育にお金がかかったから一人しか生まなかったのだよ」と言われても、それは子供たちのチョイスではない。
そんな環境を作り出しておいて、やれ「少子化は貧困を生む」とか「経済成長を阻害する」というのは生まれてくる世代に対して大きなお世話というものだろう。

賦課方式の世代間扶養が、一時の高度成長期の方便であり、人口の逓減傾向においてはいち早く「積み立て」の自己負担方式に転換する責任が、今の二十代以上の大人たちにはあると思う。

自分が自分のケツを拭かずして、よくも社会保障・年金がどうとか、子育ての補助金がどう、とか浮付いた話ができたものである。
今の若者はバカではない。
そんな大人たちの無責任ぶりを、間近で見ているからまともに働く勤労意欲も湧かないのではないか、と真面目に思う。

戦後高度成長期の六十年。
この"落とし前"をまず議論の俎上に上げずして「出生率の数値目標2.07」とか、本気で若者が納得すると思っているのか、あまりに噴飯ものの議論を国会上げて続けるのは止めてもらいたいものである。

「生みたくない未来」を作っているのは我われそのものなのである。

出生率2.07回復」少子化対策で目標必要か

日本全国ゴールデンウィークですね。前半は新宿御苑にピクニックに行ったり、友人たちが子連れで遊びにきたりして、娘は大はしゃぎ。興奮しすぎてか、夜はなかなか寝てくれず、朝は早々と「おっきする〜」と親を叩たたき起こすので全く仕事ができません。しかし、おむつもズボンも自分ではけるようになって、「すごいすごい〜」と拍手するだけでよくなったので楽チンです。

政府の少子化危機突破タスクフォース佳境に

 委員として参加している内閣府少子化危機突破タスクフォース第2期も佳境に入ってきました。先週の会議では、少子化対策をするにあたって数値目標は必要か、目標を設定するならどのような数値が適切かということも議題になりました。

 よく使われる数字は合計特殊出生率で、これは15〜49歳の女性の年齢別出生率を合計したものです。細かい話ですが、ある年の各年齢(15〜49歳)の女性の出生率を合計したものである期間合計特殊出生率と、同一年生まれ(コーホート)の女性の各年齢(15〜49歳)の出生率を過去から積み上げたコーホート合計特殊出生率があり、「1人の女性が一生に産む子どもの数」はコーホート合計特殊出生率の方です。

 しかし、その世代が50歳になるまでコーホート合計特殊出生率は算出できないため、期間合計特殊出生率を用いることが多いです(ちなみに「生涯未婚率」は50歳まで未婚である率であることも会議に出席して知りました。人口学的には50歳以降で結婚してもカウントする意味はないということだそうです)。

 出生率の分母は「女性1人当たり」であるため、生殖年齢にある女性からするとノルマを課されているように感じる、女性から反発を招きかねないとの慎重な意見が出されました。このことに関しては専門外で、単に生殖年齢の一女性としての意見ですが、出生数を目標とするか、男性を分母とした出生率の併記(人口学的には意味がないそうですが、社会学的には興味深いと思いました)でもいいのではないかと個人的には思いました。

人口保つギリギリの出生率、なぜ新聞の見出しに

 会議では数値目標が設定されなければ具体的な政策について議論できないとの意見も相次ぎ、森まさこ少子化担当大臣が「目標を設定するかしないのか、設定するとしても数字なのか、数字だとしてもどのような数字なのか、様々な論点があると思う。今日も議論が多岐にわたったので場を設けて議論したい」と述べられました。

 翌日の新聞には「『出生率2.07回復』政府会議が検討開始」と、まるで出生率2.07を目標として議論しているかのような見出しが。2.07というのは人口置換水準といって、人口を今の状態に保つギリギリの出生率ですが、会議ではその数字はちらりと出てきたものの「やっぱり出生率は2.07必要でしょう」のような議論には全くならなかったため、なぜこの数字が大きく取り上げられているのか分かりませんでした。女性の「ノルマ」になったり、個人の選択に介入したりすることにならないように非常に慎重に議論されていたので、報道を見て、だいぶ印象が違うなと感じました。

産むか産まないかは個人の選択だが…不足の認識も必要では?

 子どもを産むか産まないかは個人の選択であると同時に、個人やカップルの努力だけで思い通りになるものではありません。出生数であろうと出生率であろうと数値目標を設定されることに敏感になる人も多いと思います。しかし、数値目標がなければ具体的な政策が取られないだけでなく、子づくりに関与しない層に少子化や急激な人口減少が国民全体の問題だと認識されにくいと思います。まだまだ子どもを産み育てやすい国とは言えない現状で、子育て世代以外にも「どのくらい子どもが不足しているのか」を認識してもらうためにも、私は数値目標の設定は必要ではないかと考えています。みなさんはどう思われるでしょうか。また会議の内容をこちらのブログで報告して行きたいと思います。