藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

そもそもを問わない短絡。

やっぱり「少子化対策」という言葉に違和感を覚える人は少なくないようだ。
そもそものグランドデザインがしっかりしていないのに「一億層活躍社会」というのは何を意味するかわかりにくい。
産めよ増やせよ」と「国家が国民に言う」戦後の異常事態はあっただろうけど(でも富国強兵っていうのもあったし、日本人て単一誘導しやす国民体質があるのかもしれない)。
今や人口分布もいびつで、団塊世代が75歳になだれ込む「2025年問題」も忍び寄っている。

よくも「女性は二人以上産むことが大切」などと教育者がいったものだが、その根拠を彼ら(増やす派)は考えたことがあるのだろうか。

労働人口が(減る)」とか「年金負担が(増える)」というのは、今の時代を生きる自分たちの「単なるわがまま」である。

つまり「現状が色々あって苦しいから、何とか子供を増やしてね」というのであれば、反発は必至である。

人は「百年以上の期間のこと」を考えられない、とよく言うけれどまさに「次の国の形」が分からないのに「二人産め」などというのは暴論にも等しい。

少子化を解決」という言葉の意味をもう一度考え直す時期ではないだろうかと思う。

世界史上で最も早い高齢化地域を迎える日本だからこそ、なし崩し的な「国民増産」に安易に走らず、また国民全員にも意見を問うてみる問題だと思う。
「じゃあ人口減にどう処するのか?」という問いには安直な答えはないけれど、「ともかく増やそう」というのは「人口は際限なく増やせるだろう」という短慮ではないだろうか。

ようやくそんな「当たり前の圧力」にも抗う空気が出てきているのは、一つの進展に違いない。
こういうことを最初に提言するのが政治家というものだろう。

産んだら育てるのは大変だ。
少子化対策とか高齢者対策、と安易に言う前に、一歩進んだ「考えなきゃいけないこと」をぜひ提言してもらいたい。

産め産め言うけれど… 山口智子さんの「産まない人生」「女は子供を産まなければ一人前と扱われないのか?」をテーマに開かれたトークイベント。右から柴田英里さん、中村うさぎさん、牧村朝子さん=2月26日、東京都新宿区
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 「少子化を解決せよ」の大合唱、これから産みたい女性にとっては追い風が吹いているようだが、何かモヤモヤする。外野から「産め産め」言われると、産みたい気持ちもなえそうだ。産むのは誰のためなのか。自分、家、社会、国?

「女性は2人以上産むことが大切」中学校長、全校集会で
 2月、大阪市立中学の校長が全校集会で「女性にとって子どもを2人以上産むことは、仕事でキャリアを積む以上の価値がある」と発言、「価値観の押しつけだ」「正論だ」と賛否両論が起きた。昨年9月には菅義偉官房長官が芸能人カップルの結婚に際し、「この結婚を機に、ママさんたちが一緒に子どもを産みたいとか、そういう形で国家に貢献してくれたら」と発言し、波紋を呼んだことも記憶に新しい。

 安倍政権は「1億総活躍社会」を掲げ、「希望出生率1・8の実現」を打ち出している。そんな中、女性誌「FRaU」3月号に、女優の山口智子さん(51)が子どもを産み育てない人生を選んだことに「一片の後悔もない」と語ったインタビューが掲載されると、大きな反響があった。編集部に届いた声は「子がなくても夫婦で幸せに生きていけると勇気づけられた」など支持が多かったが、ネットでは「日本は少子化で滅亡寸前なのに」とたたく人もいた。

 都内でトークイベント「女は子供を産まなければ一人前と扱われないのか?」を企画した美術作家の柴田英里さん(31)は、冒頭で山口さんの言葉を紹介。「産まない女は産む女に見合う特別な仕事をしないといけないのか」と投げかけた。

 レズビアンでタレントの牧村朝子さん(28)は「親に社会貢献のため産んだと言われたら気持ち悪い」。作家の中村うさぎさん(58)は「人の価値は社会に役に立ったかで決まるものではない」と発言した。会場からも「1億総活躍と言われ、産んでいないと独身税を課されても仕方ないかのようだ」という意見が出た。

 生殖はいつから「国・社会のため」と結びつけられるようになったのか。

 大阪府立大学の田間(たま)泰子教授(家族社会学)によると、明治期に富国強兵を担う国民が多数必要だという発想が生まれ、戦時中の「産めよ殖やせよ」につながっていく。一方ベビーブームを経た1950年代には、戦前のように国土を増やせない以上、養える範囲に人口を抑えようと産児制限が奨励された。戦後の貧困や、障害者らを差別する優生思想を背景に、政治・行政と草の根活動の両輪で避妊運動が広がった。

 一転、人口減が現実味を帯びた90年代以降は、経済の停滞などへの懸念から少子化が問題視される。

 「産むことをめぐる国と個人の関係は、その時代に何が『国の繁栄』とされるかによって左右される」

■子育て家庭を訪問

 産みたい女性自身は、「誰」のために産むのか。

 静岡大学の白井千晶教授(家族社会学)は一昨年、不妊治療への助成が少子化対策の一環として行われることを疑問視する論文をまとめた。

 「少子化対策の枠組みでの助成は、『産むことは社会のため』という大義名分を正当化し、それが産まない人への否定的反応を招きかねない。追い込まれた女性たちはその危険を理解した上で、治療のために助成を求めざるを得ない」

 白井さんが不妊治療を体験した女性たちに聞くと、子どもはかわいいだろうから欲しいという人のほか、なぜ産むのだろうと実は悩みながらも、「後悔したくないから治療に励む」という人が少なくなかった。孤独死が怖い、親に認められたい、仕事で成長の機会が少ない――。様々な思いが混ざり合う。

 自分の手で「産む・産まない」の選択をつかむには、どうすればいいのか。

 「安心して母になれる社会をつくる」を目標に2014年に発足したのが、大学横断の女子学生団体「manma(マンマ)」だ。学生が子育て家庭を訪ね、子どもと触れ合い親の話を聞く「家族留学」を企画。男子を含むのべ約160人が訪問を経験した。

 代表で慶応大4年の新居日南恵(におりひなえ)さん(21)は、学校などで職業選択について考える機会は多いのに、人生に大きく影響する出産や子育てを学ぶ機会は少ないと気づき、活動を始めた。

 「若い世代は現実の子育てを知らないまま、保育園不足などの情報に触れ、家庭そのものや、仕事と子育ての両立にネガティブなイメージを持っている。専業主婦になるか結婚せず仕事一筋か、二者択一だと思い込む学生が多い」と話す。

 訪問をきっかけに、子どもは仕事の足かせだと思っていた学生が子育てに関心を持つことがある。一方、産まないという選択もあることや、健康上産めない場合があると初めて知り、驚く学生もいる。

 身近で子育てを見られない不安、出産に踏み切れない貧困など、現代の「産みにくさ」の中で、若い世代が自分の選択をつかむ模索が続く。

 新居さんは「さまざまな選択肢を知り、結婚・出産しなくてはというプレッシャーがやわらいだ。仕事と子育てへの重みの置き方は人それぞれだが、何を引き受けていくかを『自分で決めた』という感覚を持ちたい」と話す。(高重治香)