藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

少子化は悪か。

驚いた。
本当におどいた。

"少子化担当相"という言葉を聞いた途端の違和感はやはり間違いなかったのだ。
少子化がなぜいけないのか?ということに対して。
社会保障負担の増大
・上記負担のため生活水準の低下
・経済規模の縮小
労働力人口の減少
・先祖に対する意識の希薄化
・地域コミュニティの弱体化
・単身世帯の増加
・過疎化の進行・・・などなど
http://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/special/future/0224/shiryou_03.pdf

そしてまさかと思ったが、公明党の京都支部と思しきHPで驚く提言に出会った。
http://www.kid97.co.jp/komeishikai/politics/18/pdf/0612_02.pdf

(そもそも少子化は社会問題か、社会保障制度が負担しきれなくなる問題はあるが、地球環境の面から考えると、このまま人口が増え続けて良いわけはなく、(中略)「子供を生む、生まない」は個人の選択の問題であり社会が介入すべき問題ではないという議論もある。)

驚くのはここまで分かっていて

「しかし、市町村の政治は国民の身近な問題に対処する最後の砦である・・・と意味不明の下りの跡、「むしろ、少子化という問題から逆に、国民の日常生活に何が起こっているのか、またそれがなぜ起こるのかを考える必要がある・・・(後略)

という論調で、「そもそもの議論」なしに、今の少子化担当省とか、いろんな制度とか手当とかがどんどん泥縄式に施策されているらしい、というのは恐ろしいことである。
今また、政府は少子化の改善に向けて「数値目標を設定するか否か」という屋上屋を重ねた議論をしている。
少子化担当省のHPを見てみてもそうした「根本的な記述」は一切ない。
なんということか。
一億総白痴化はここまで進んでいたのである。
これはもう政策の誤りというレベルではなく、「世代間の裏切り」ではないだろうか。
(つづく)

出生率2.07回復」少子化対策で目標必要か


日本全国ゴールデンウィークですね。前半は新宿御苑にピクニックに行ったり、友人たちが子連れで遊びにきたりして、娘は大はしゃぎ。興奮しすぎてか、夜はなかなか寝てくれず、朝は早々と「おっきする〜」と親を叩たたき起こすので全く仕事ができません。しかし、おむつもズボンも自分ではけるようになって、「すごいすごい〜」と拍手するだけでよくなったので楽チンです。

政府の少子化危機突破タスクフォース佳境に

 委員として参加している内閣府少子化危機突破タスクフォース第2期も佳境に入ってきました。先週の会議では、少子化対策をするにあたって数値目標は必要か、目標を設定するならどのような数値が適切かということも議題になりました。

 よく使われる数字は合計特殊出生率で、これは15〜49歳の女性の年齢別出生率を合計したものです。細かい話ですが、ある年の各年齢(15〜49歳)の女性の出生率を合計したものである期間合計特殊出生率と、同一年生まれ(コーホート)の女性の各年齢(15〜49歳)の出生率を過去から積み上げたコーホート合計特殊出生率があり、「1人の女性が一生に産む子どもの数」はコーホート合計特殊出生率の方です。

 しかし、その世代が50歳になるまでコーホート合計特殊出生率は算出できないため、期間合計特殊出生率を用いることが多いです(ちなみに「生涯未婚率」は50歳まで未婚である率であることも会議に出席して知りました。人口学的には50歳以降で結婚してもカウントする意味はないということだそうです)。

 出生率の分母は「女性1人当たり」であるため、生殖年齢にある女性からするとノルマを課されているように感じる、女性から反発を招きかねないとの慎重な意見が出されました。このことに関しては専門外で、単に生殖年齢の一女性としての意見ですが、出生数を目標とするか、男性を分母とした出生率の併記(人口学的には意味がないそうですが、社会学的には興味深いと思いました)でもいいのではないかと個人的には思いました。

人口保つギリギリの出生率、なぜ新聞の見出しに

 会議では数値目標が設定されなければ具体的な政策について議論できないとの意見も相次ぎ、森まさこ少子化担当大臣が「目標を設定するかしないのか、設定するとしても数字なのか、数字だとしてもどのような数字なのか、様々な論点があると思う。今日も議論が多岐にわたったので場を設けて議論したい」と述べられました。

 翌日の新聞には「『出生率2.07回復』政府会議が検討開始」と、まるで出生率2.07を目標として議論しているかのような見出しが。2.07というのは人口置換水準といって、人口を今の状態に保つギリギリの出生率ですが、会議ではその数字はちらりと出てきたものの「やっぱり出生率は2.07必要でしょう」のような議論には全くならなかったため、なぜこの数字が大きく取り上げられているのか分かりませんでした。女性の「ノルマ」になったり、個人の選択に介入したりすることにならないように非常に慎重に議論されていたので、報道を見て、だいぶ印象が違うなと感じました。

産むか産まないかは個人の選択だが…不足の認識も必要では?

 子どもを産むか産まないかは個人の選択であると同時に、個人やカップルの努力だけで思い通りになるものではありません。出生数であろうと出生率であろうと数値目標を設定されることに敏感になる人も多いと思います。しかし、数値目標がなければ具体的な政策が取られないだけでなく、子づくりに関与しない層に少子化や急激な人口減少が国民全体の問題だと認識されにくいと思います。まだまだ子どもを産み育てやすい国とは言えない現状で、子育て世代以外にも「どのくらい子どもが不足しているのか」を認識してもらうためにも、私は数値目標の設定は必要ではないかと考えています。みなさんはどう思われるでしょうか。また会議の内容をこちらのブログで報告して行きたいと思います。