藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

出自を考えること

冨山和彦さんのコラムより。
思考の怠慢、というのは怖いものだと常々思っていたが、あにはからんや
興味深い指摘があった。
目からウロコが久しぶりに落ちた。

利益課税型の法人税は、歴史的に戦費調達がきっかけになっている場合が多い。非常時なので取りやすいところから取る、という発想なのです。

さらに驚くことには。「法人」についても。

もとより法人税というのは、課税根拠が曖昧な税金です。法人は人ではなくフィクション。「架空の存在から税金を取るのはおかしい」という議論が昔からありました。

法律で法人とか自然人、とか定義されていてもう「ゆるぎないものに違いない」という固定観念があったけれど。
「法人はフィクション」と言われてみると、これまでの常識が吹っ飛ぶ思いがする。
法人とは"概念"なのだ、と改めて考え直した。
また冨山氏が指摘するように、全法人の三割しか利益を出さず、また利益を出した報じからばかり五割にも近い税金を課す、というのはまさに「やりやすいことだけ」を指向しているということの証左だろうとも思った。

むしろ長期的にこの国の国民経済を豊かにするためには、利益課税型の法人税は引き下げ、フェアに課税ベースを広げて、企業の新陳代謝を促すためにも各種の優遇税制を廃止する、というバーターにしてはどうでしょうか。

つまり、妙な措置のおかげで延命されている法人は淘汰され、利益を出した企業は「それ相応に富を残す」という方がフェアだという話にも一理があると思う。
いずれにしても減税も増税も、その土台からひも解いて議論しないと屋上屋を重ね、瑣末な話になりがちである。
さらには勘違いの「円安誘導、貿易黒字」という架空の理屈にも「言ってみただけ」の無責任さがすでに漂っている。

政策は重要だが、それを決定する過程で「本当の知恵者の知識の集積」をしないと愚か者の決断になってしまう。
税制然り。
年金然り。
国防然り。

日本は今が、思考の踏ん張りどき、ではないだろうか。
有権者が、マスコミがもっと考えて声を出さねばならないと思う。
それが期待できないなら自分で言うしかないのだろう。

それ、会社病ですよ。

経済成長戦略の一環として法人税減税が検討されています。しかし、その効果は、慎重に見極めなければなりません。
「円安になれば輸出が拡大して貿易黒字が拡大する」というJカーブが期待されましたが、そうなっていない。そもそも今や日本企業の国内生産キャパは小さい。グローバル化に対応して、生産や販売の現地化を進めるのは競争戦略上の必然であり、法人税を下げても、海外市場向けの生産拠点が一斉に国内にシフトするとは思えない。
もとより法人税というのは、課税根拠が曖昧な税金です。法人は人ではなくフィクション。「架空の存在から税金を取るのはおかしい」という議論が昔からありました。利益課税型の法人税は、歴史的に戦費調達がきっかけになっている場合が多い。非常時なので取りやすいところから取る、という発想なのです。
ただ、実際、企業は経済活動として道路を使い、ゴミを出し、水道を使っています。社会インフラを使っているという意味では、その対価として税金を納めるべきという論理は理解できます。そうならば利益が出ている企業のみから法人税を取るのはおかしい。赤字企業も、社会インフラを使っているからです。この理屈なら、黒字だろうが赤字だろうが、関係なく外形標準課税のほうがフェアです。

日本では法人のうち、実に平均7割が税法上の赤字法人です。つまり、税金を払っているのは3割しかない。結果的に、一生懸命頑張っている強い企業は、赤字企業よりも、税金という一種のペナルティーを科されていることになります。本来、競争のなかで自律的に生き抜く建前の企業に対する税体系に、社会政策的な価値観が混入しているのです。これは合理的ではない。
むしろ社会政策的な配慮は個人に対して行い、企業には競争力の向上を妨げない税体系を取るべきです。これは、生産性向上という日本企業の課題解決にもつながっていきます。税制も含め、低生産性企業への延命政策を止める。そして弱い企業は退出を求められ、生産性の高い企業へと事業と雇用が集約され、給料も高くなり、経済社会全体は豊かになる。
多くの企業が法人税を払っていないのは、各種の優遇税制の存在も大きいでしょう。とりわけ中小企業や特定の産業に、経済成長とあまり関連性のない優遇措置が少なからず残っている。これで減税の意味があるか。要するにこんな状況で、法人税減税は議論されているということです。
減税をするのもいい。むしろ長期的にこの国の国民経済を豊かにするためには、利益課税型の法人税は引き下げ、フェアに課税ベースを広げて、企業の新陳代謝を促すためにも各種の優遇税制を廃止する、というバーターにしてはどうでしょうか。弱い企業や産業からの陳情的な声には耳を貸さずに、本来のあるべき姿を考えてみればいいのです。
経済成長の議論は企業のために行われているわけではありません。企業はあくまで、国民経済を豊かにする手段でしかない。政府がどこまで踏みこむか。胆力が問われます。