藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

オリジナルとは何か。(1)

剽窃チェッカーなるものもあるらしい。
創作か否か。
例えば昨日載せた未来工業の記事だってまあ剽窃である。
剽窃むしろやりなさい」というのは内田樹師匠くらいなもので、実はネット社会も非常に窮屈なものである。
テキストの引用も注意せねばならないが、もっと怖いのは「考えの引用」である。
著作権の争いなどでしばしば問題になる「どこまでが盗用で、どこからが創作か」というようなこと。
シェイクスピアの戯曲などは、いつの時代にもモチーフにされ、形を変えて発表されているけれど、そもそも人間が作った法律で著作権の期限などを決めているから、運用にも無理があるのかもしれない。

それにしても自分の日常で「イノベーションとは」とか「労働とは」とか「新製品について」とかを考える。
とそれは果たして自分の「オリジナル」なのだろうか。

義務教育を受け、社会に出て見知った、教わったあらゆることの結果今に至っている。
本当に「自ら発」で自分で考えていることなどどれほどあるのだろう、と思うと寒気がする。
新聞などを読んでいて感じること、頭に浮かぶことなど「すべてがオリジナルでない」と思える。
全部、見知った知識のつなぎ合わせだったり、混ぜ合わせだったり「部分合わせ」でしかないのではないか。
円高になるとね、とか国債金利が上がると価格は下がり・・・、とか会社法の記述では、とかぜーんぶ「人から聞いただけ」のお話である。
いろいろとつなぎ合わせてTPOによって使い分けているのが”自分”というやつなのだ。
(つづく)

博士号の信用失墜〜「小保方論文」審査の課題

2014/7/28 3:30
ニュースソース
日本経済新聞 電子版

 かつて私の学生時代、「糊(のり)と鋏(はさみ)で卒論執筆」という自虐的な表現がありました。他人が書いた書籍の文章を切り貼りして自分の論文を仕上げる、という意味です。独創的な発想や主張を書くことができない自分の能力のなさを嘆いていたのです。

 学生たちがパソコンで論文を書くようになって、この表現は「コピペ」に取って代わりました。「コピー&ペースト」(写して貼る)。つまり現代版「糊と鋏」ですね。

 インターネットで使えそうな文章を探し出し、コピーして、自分のリポートに貼り付けます。

■コピペが11か所あった

 「昔はそれでも自分の手で他人の論文を書き写していたから、自分の身になる部分もあったが、いまは簡単にコピーできるから身に付かない」と評する大学教授もいます。

 大学生の間で横行するコピペについて、ある大学教授(東工大ではないので、念のため)から実態を聞いたことがあります。提出させたリポートの文体が「です、ます」と「である」が混在しているばかりか、文字も明朝体とゴシック体が併用されて、統一されていないというのです。コピーした文章に手を入れないままペーストしているのですね。くだんの大学教授は、「せめて自分のリポートの文字くらい統一すればいいのに」と嘆いていました。

調査委員会は論文に問題があることを認めた上で、博士号の学位論文取り消しには当たらないと判断した(17日、記者会見する小林英明調査委員長、東京都新宿区)
調査委員会は論文に問題があることを認めた上で、博士号の学位論文取り消しには当たらないと判断した(17日、記者会見する小林英明調査委員長、東京都新宿区)

 昔も今も学生の気質は変わっていないもの。とはいえ、これは学部の卒業論文レベルのこと。修士論文や博士論文は、はるかに厳格に独創性が問われるものと思っていました。私が東工大で教えているのは学部生だけですが、周囲の大学院生の苦労ぶりを見て、それが当然のことと受け止めていました。

 ところが、早稲田大学では、そうではないらしいのですね。

 理化学研究所小保方晴子研究ユニットリーダーが3年前に早稲田大学に提出した博士論文について調査していた早稲田大学の調査委員会は、博士号の取り消しには当たらないとの結論を出したからです。

 この報道にびっくり。7月17日に発表された調査委員会の報告書を読みました。それによると、「著作権侵害行為であり、かつ創作者誤認惹起(じゃっき)行為といえる箇所」が11か所もあるというのです。

 どうして、こう難しい表現を使わなければならないのか。要するにコピペが11か所あったというのです。他人の文章をまるで自分の文章のように装う。これを「創作者誤認惹起行為」というのですね。

■「カンニングと同様にみなされる」

 報告書によると、論文の第1章の80%がコピペだったというのです。博士論文全体では20%を占めています。第1章といえば、導入部。論文作成者の独創性を明らかにするところのはずです。このほとんどがコピペなのに、取り消しには当たらないというのですから、驚くしかありません。

 早稲田大学では、どのような指導をしているのでしょうか。早稲田大学グローバルエデュケーションセンターのウェブサイトを見ると、「レポートにおける剽窃(ひょうせつ)行為について」という項目があります。ここにある文章をコピペします。

 

 書籍やWebなどの他人の文章をレポート(Webページの作成課題を含む)として提出することは許されません。一部分であったとしても、後述の出所の明示を含む引用の要件がみたされていなければ同様に許されません。上記に該当するレポートは試験におけるカンニング行為(他人の答案や持込の禁止されている資料を写すこと)と同様にみなされ、不正行為に該当します。不正行為が発覚した場合、Waseda-net IDの利用停止、該当科目の無効、また所属学部・研究科において、その時点で履修しているすべての科目の無効、停学を含む厳しい処罰が下されますので、十分に注意してレポートを提出してください。

 (中略)

いけがみ・あきら ジャーナリスト。東京工業大学リベラルアーツセンター教授。1950年(昭25年)生まれ。73年にNHKに記者として入局。94年から11年間「週刊こどもニュース」担当。2005年に独立。主な著書に「池上彰のやさしい教養講座」「池上彰のやさしい経済学」(日本経済新聞出版社)。長野県出身。63歳。


 引用元、特にWebページ上のものなどで「『自由に利用してかまわない』と書かれている」場合でも、「自分の文章ではないものを、自分の文章として提出する」行為そのものは剽窃に該当します。

 新聞社・通信社のニュース、官庁のWebページ、Web上の辞典などレポート作成によく利用されますが、いずれも出所を明らかにせず引用の要件を満たさずに利用すれば、剽窃にあたりますので、注意してレポートを作成するように心がけてください。

(以上、ウェブサイトより抜粋)

 なんだ、きちんと指導しているではありませんか。それなのに、この調査報告書が出てくるというのは、どういうことでしょうか。

 今後は、国の内外で「ワセダで博士号を取得しました」という人が疑いの目で見られるでしょう。「ワセダの大学院に行くのはやめておけ」とアドバイスされる学生も増えることでしょう。国際的に、これほどワセダの信用を失墜させる行為はないはずです。

 「ワセダというのは、日本で有数の大学だそうだね。そこの博士号がこのレベルなら、日本の学術水準も知れたものだね」と海外で言われるようになれば、日本の信用まで失われます。その責任を、どう考えるのでしょうか。