藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

オリジナルとは何か。(2)

外部から得た知識のつなぎ合わせのどこからがオリジナルなのか。
自分の頭で考えている、といったって所詮は外部から得た知識の「化合物」でしかないではないか。
特許よろしく「これまで誰にもなかった新規性」などがあればいいが、経済学者のノーベル賞ででも受けるくらいでなければ、その域にはないだろうし、いや例えそれほどでも、やっぱり「既存の知識ありき」ではないかと思う。

これまでに得た知識を、頭の中でミキサーにかけてグルグル回し、どの程度にバラバラにして、そして新しいものにくみ上げればそれは「創作」と言えるのだろう。

そんなもの「言葉というテキスト」を使って表現する限りオリジナルではないのではないか、とも思ったり。

なんでそんな妙なことが頭に浮かぶかというと、池上さんのコラムの小保方論文の剽窃についての話がきっかけなのであった。

かといって「全く他人と違うことだけ」を目標にするのもおかしい。
欧米人などは割と変質的に「差別化」を指向するように思うけれど、「違っていれば何でもいい」というのは本末転倒である、と自分はよく思う。

仕事場の会議などでも「こうすべきではないか」というような場面はよくあるが、どれもこれも「本当のオリジナル」ではない。
どこかが借り物で、特にお咎めもない(というかそもそも外部の目になど触れないし)ので「様々な引用」が無限に行われていると思うのである。

科学論文の剽窃が一概に許されるものではない、ということも分かる気がするが、そもそも自分たちの独自性、ということについて議論を整理しないと「三行のコピペはいかがなものか」というような瑣末な話に終始してしまう。
剽窃チェッカーなどに判断されたくはないのである。

博士号の信用失墜〜「小保方論文」審査の課題

2014/7/28 3:30
ニュースソース
日本経済新聞 電子版

 かつて私の学生時代、「糊(のり)と鋏(はさみ)で卒論執筆」という自虐的な表現がありました。他人が書いた書籍の文章を切り貼りして自分の論文を仕上げる、という意味です。独創的な発想や主張を書くことができない自分の能力のなさを嘆いていたのです。

 学生たちがパソコンで論文を書くようになって、この表現は「コピペ」に取って代わりました。「コピー&ペースト」(写して貼る)。つまり現代版「糊と鋏」ですね。

 インターネットで使えそうな文章を探し出し、コピーして、自分のリポートに貼り付けます。

■コピペが11か所あった

 「昔はそれでも自分の手で他人の論文を書き写していたから、自分の身になる部分もあったが、いまは簡単にコピーできるから身に付かない」と評する大学教授もいます。

 大学生の間で横行するコピペについて、ある大学教授(東工大ではないので、念のため)から実態を聞いたことがあります。提出させたリポートの文体が「です、ます」と「である」が混在しているばかりか、文字も明朝体とゴシック体が併用されて、統一されていないというのです。コピーした文章に手を入れないままペーストしているのですね。くだんの大学教授は、「せめて自分のリポートの文字くらい統一すればいいのに」と嘆いていました。


調査委員会は論文に問題があることを認めた上で、博士号の学位論文取り消しには当たらないと判断した(17日、記者会見する小林英明調査委員長、東京都新宿区)

 昔も今も学生の気質は変わっていないもの。とはいえ、これは学部の卒業論文レベルのこと。修士論文や博士論文は、はるかに厳格に独創性が問われるものと思っていました。私が東工大で教えているのは学部生だけですが、周囲の大学院生の苦労ぶりを見て、それが当然のことと受け止めていました。

 ところが、早稲田大学では、そうではないらしいのですね。

 理化学研究所小保方晴子研究ユニットリーダーが3年前に早稲田大学に提出した博士論文について調査していた早稲田大学の調査委員会は、博士号の取り消しには当たらないとの結論を出したからです。

 この報道にびっくり。7月17日に発表された調査委員会の報告書を読みました。それによると、「著作権侵害行為であり、かつ創作者誤認惹起(じゃっき)行為といえる箇所」が11か所もあるというのです。

 どうして、こう難しい表現を使わなければならないのか。要するにコピペが11か所あったというのです。他人の文章をまるで自分の文章のように装う。これを「創作者誤認惹起行為」というのですね。

■「カンニングと同様にみなされる」

 報告書によると、論文の第1章の80%がコピペだったというのです。博士論文全体では20%を占めています。第1章といえば、導入部。論文作成者の独創性を明らかにするところのはずです。このほとんどがコピペなのに、取り消しには当たらないというのですから、驚くしかありません。

 早稲田大学では、どのような指導をしているのでしょうか。早稲田大学グローバルエデュケーションセンターのウェブサイトを見ると、「レポートにおける剽窃(ひょうせつ)行為について」という項目があります。ここにある文章をコピペします。

 

 書籍やWebなどの他人の文章をレポート(Webページの作成課題を含む)として提出することは許されません。一部分であったとしても、後述の出所の明示を含む引用の要件がみたされていなければ同様に許されません。上記に該当するレポートは試験におけるカンニング行為(他人の答案や持込の禁止されている資料を写すこと)と同様にみなされ、不正行為に該当します。不正行為が発覚した場合、Waseda-net IDの利用停止、該当科目の無効、また所属学部・研究科において、その時点で履修しているすべての科目の無効、停学を含む厳しい処罰が下されますので、十分に注意してレポートを提出してください。

 (中略)




 引用元、特にWebページ上のものなどで「『自由に利用してかまわない』と書かれている」場合でも、「自分の文章ではないものを、自分の文章として提出する」行為そのものは剽窃に該当します。

 新聞社・通信社のニュース、官庁のWebページ、Web上の辞典などレポート作成によく利用されますが、いずれも出所を明らかにせず引用の要件を満たさずに利用すれば、剽窃にあたりますので、注意してレポートを作成するように心がけてください。

(以上、ウェブサイトより抜粋)

 なんだ、きちんと指導しているではありませんか。それなのに、この調査報告書が出てくるというのは、どういうことでしょうか。

 今後は、国の内外で「ワセダで博士号を取得しました」という人が疑いの目で見られるでしょう。「ワセダの大学院に行くのはやめておけ」とアドバイスされる学生も増えることでしょう。国際的に、これほどワセダの信用を失墜させる行為はないはずです。

 「ワセダというのは、日本で有数の大学だそうだね。そこの博士号がこのレベルなら、日本の学術水準も知れたものだね」と海外で言われるようになれば、日本の信用まで失われます。その責任を、どう考えるのでしょうか。