藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

複雑化の時代。


糸井さんのブログより。

・たとえば、エレベーターというものが、
 どういうしくみで動いているのか、だいたいわかります。
 蒸気機関車だとか、自動車なんかも、わかります。
 だけど、いまは、しくみのわかるものが少なくなってて、
 「わからなくてもいい」けど動かせるものになってます。
(中略)
 その最たる者がコンピューター関係のことです。
 なにがどうして、どこがどうなって、こうなの?
 なんにもわかりゃしないわけです。
(中略)

より文明が深くなるというか、技術が高度になるというか、あるいは規模が大きくなると「全体が見えない」という問題が同時に生じてくる。
「高度さ、細かさ、複雑さ」と「全体性の管理の問題」はこれからも相反するテーマだろう。

昔はあんまり多くなかった「黒い箱」が、
 いつのまにやら、増えたこと増えたこと。
こんなむつかしい世の中に弱音を吐くようですが、
 金づちと釘みたいにわかりやすい時代がなつかしいです。

例えば、そんなに大きくない50人くらいの会社の中だって、すべての業務を知っている人はいない、とよく言うものだ。
もう現代では「どこか不明なもの」を「誰かに任せ」て生活することは、その高度差・複雑さ故に必須の要素なのである。

自分たちはそうこうするうちに、最新のエレベータとか車とか、自分の仕事についてもあまり"追求すること"を止めてきている傾向がありそうだ。
日常の分散化、ブロック化である。
(つづく)

・たとえば、エレベーターというものが、
 どういうしくみで動いているのか、だいたいわかります。
 蒸気機関車だとか、自動車なんかも、わかります。
 飛行機でもロケットでも、わかるといえばわかってた。
 テープレコーダーとか、レコード盤もわかってたと思う。
 
 ある時代まで、世の中にあるいろんな便利なものが、
 およそどんなしくみで動いているのか、
 たいていの人は、ざっとでもわかっていましたよね。
 だけど、いまは、しくみのわかるものが少なくなってて、
 「わからなくてもいい」けど動かせるものになってます。

 その最たる者がコンピューター関係のことです。
 なにがどうして、どこがどうなって、こうなの?
 なんにもわかりゃしないわけです。
 それは、コンピューターを使ったゲームでも、
 コンピューターを使った買い物でも、
 コンピューターを使った調べものでも、みな同じです。

 Googleさんに、どんなことばでも入れてみたら、
 ものすごい速度で、「これかな?」と答えてくれます。
 世界中のコンピューターに訊きまくって、
 それをまとめて発表してくれてるわけ?
 それを、ぼくらに見えないところで
 あっというまにチャチャッと探索してるのでしょうか。
 こういう次元のことは、わかりようがないです。
 だけど、そういうしくみをつくっている人がいるわけで、
 そういう専門家の人たちは、わかってるんですよね〜。
 
 なにかを入れたら、中がどうなってるか見えないけど
 とにかくなにかが出てくる。
 そういう箱のことをブラックボックスっていいますが、
 昔はあんまり多くなかった「黒い箱」が、
 いつのまにやら、増えたこと増えたこと。

 人間の生き方だとか、はたらき方についてだって、
 ずいぶんわかりにくくなっています。
 機械ものばかりじゃなくて、そういう場面でも、
 ブラックボックスがたくさん増えていそうです。
 こんなむつかしい世の中に弱音を吐くようですが、
 金づちと釘みたいにわかりやすい時代がなつかしいです。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
夜は「はじめての福島学」の開沼博さんと対談をします。