藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

最後の勝者。

合理性の塊であるコンピューターの台頭はAIとなり、21世紀の人間社会を一気に変えそうな気配がある−
その一方、AIといえど究極には、それを作り出した人間の「狂気に近いところ」までもをロジックにしなければ人間(と同じ存在)にはならないだろう。

例えば経営者。
これはかなりの部分まで代替が可能だろう。
「無茶」や「情熱」とか「執心」「執念」といったところがロジックで解明されない限りは「真っ当な判断」をするコンピューターではなかなか真似はできない。
失敗することもそりゃ多いから。

例えば政治家。
これは国民も含めた利害関係者が多いから「調整無理」の世界でこれまで来たけれど、民族紛争とか貧困とか、資本主義とかにもロジック化が進めばいずれは「高度な調整システム」として代替可能になるだろうと思う。

で。

唯一「AIでも当面は無理」と思うのは「料理人」である。

ここ数千年、基本的な原材料は変わっていない。
肉、魚、野菜、調味料。
しかし定型化は一向に進んでいない。

レシピで一定化されるはずのチェーン店ですら浮沈する。
街中の居酒屋や料理店は未だに栄枯盛衰の只中だ。
世界中で呆れるほどの店が誕生し、また廃業する。
一代で名を挙げた料理人の腕が引き継がれないこともままあるし、
彗星の如く在野から現れる若手もいる。

外部要因である、食べる人の好みも変わる。
素材の良し悪しも季節や環境で変わる。
調理法もそれらに連れて変化してゆく。

機械の運転よりも、
法律よりも、
経営よりも、
政治よりも、最も難しく「ロジック化できないもの」は料理ではないだろうか。

料理人というのはつくづくすごい存在だと思いつつ、日々飲み歩いているのでした。