「知識の集約と組み合わせ」で構成されいた仕事と、「人の五感」に頼っていた仕事は次々に機械化の対象になる。
法律の分野でも、裁判前のリサーチのために数千件の弁論趣意書や判例を精査するコンピューターがすでに活用されており、米ソフトウェア大手シマンテックのサービスを利用すると、2日間で57万件以上の文書を分析して分類することができる。その結果、弁護士アシスタントであるパラリーガルや、契約書専門、特許専門の弁護士の仕事は、すでに高度なコンピューターによって行われるようになっているという。
こちらは「人が見張っていた」ところの警備・保安。
また、街頭や歩道などにセンサーが張り巡らされ、音や映像を記録することによって、「警官の人数も減らせるかもしれない」とオズボーン氏は指摘する。
さらには聖域と言われていた金融でも。
金融業界では、人間のトレーダーよりも大量かつ迅速に、コンピューターがプレスリリースや決算資料を分析し、それに基づいた投資判断を下すのが日常の風景となっている。
自分がこれまで「自分だからできる」と思っていた仕事。
それが案外「情報の独り占め」とか「人間関係」の所産だったというのはよくある古典的な話。
そうではなく「人じゃなくてもできる仕事かどうか」を考えてみる時代になったのだ。
どの職業も安穏としてはいられなそうだ。
"経営者"という職種も、実はそのほとんどは機械化できるのじゃないだろうか。
つまり、人の営みってどの程度「技術」に代替できるのだろう。
(つづく)