藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

すべてを習い事に。


例えば剣道のように、摺り足ができたら次は竹刀をもって、とかピアノのようにスケールができたら次はアルペジオ、とか社会に出ての人格形成にはあまりそういうマニュアルがない。
仕事とか人間関係とかを、日々まんべんなくこなしてゆく感じが強いと思う。
ある日「ありゃ。自分には歴史についての勉強が全然足りないぞ」とか「もう少し法律とITのことを知っておかないと具合悪いなあ」ということってしばしばあるものだ。

稽古事であれば、段位判定のシステムなどがあり、ある程度技前の目安が定められている。
同じことを自分の周囲についても設定してはどうだろうか。
仕事については比較的イメージしやすい。
「ここ三年で法律とビジネス英語の分野では中級程度になろう」とか。
方向が定まっているのなら、五年でセミプロ級になってみたいとか。

プライベートでは、ちょっと難しいけど十年後くらいの家族関係とか、趣味の広がりなどを想像してみるのはどうだろう。
自分の周囲の将来ってそう考えるとずい分ぼうっとしているけれど、少し想像してみるだけで何も考えないよりは何か「考えておきたいもの」が湧き上がってくるようなきがするのである。

よくFPさんなどから人生設計についての話を聞かされて「そうはいってもなあ」と思うけれど、度々イメージしているうちに少しづつはっきりする部分も出てくるだろう。
自分だけでは為せないこともあるけれど、何も考えないことと、イメージくらいは出来ていることの差は大きいのではないか。
お稽古事になぞらえて、自分の身の周りを整理できないものか、と思うのである。