藤野の散文-私の暗黙知-

毎日の中での気付きについて書いています

趣味という自由。


「一番好きなことは仕事にするべからず」という名言がある。

「好きでやってるマージャンなら徹夜もできるのに、
 仕事でマージャンをしろってことになったら、
 絶対に徹夜なんかやってられないだろ」
 というものです。

糸井さんのブログより。
三度の飯より好きだけど、それで稼ごうとは思わない。
つまり「生活のための糧」とか「客の依頼第一」の義務感はご免被りたいということだ。
つまりは「自分のやりたい方法で、やりたいペースでやりたいだけ」したいのが趣味なのだろう。
冒頭の、好きなこと=職業にしてしまった途端そんな我儘は許されなくなるし。
思えば「好きなことを好きなだけ」という趣味とは実に贅沢なものである。

しかも趣味は精神性も高める。
お金を使って道具や乗り物を買って、高い移動コストを費やさなくても、ひたすら部屋の中で熱中できるものも多い。
中々に効率の良いものでもある。

そんな目で生涯、どんなことを趣味にしてゆくか、を想像するのも楽しい。
別にただ一つに絞らねばならないということもない。
何か稽古事とか研究を趣味にして、その合間に淹れるコーヒーの抽出だって立派な趣味にもなる。
夜のお酒だって趣味だし、食べ歩きもそうだろう。

そう考えると、人生で趣味ってパッと思いつくだけでも5-6個はすぐにありそうだ。
あとはどれだけ長く、深く追求できるかだろう。
途中で追加するもいいし、しばらく放って置くものもあるとか。

特にインドアで出来るものは、大掛かりな出費がなくて面白そうなものが沢山ある。
わざわざ候補を挙げておいて試してみるのも面白いな、と思う。

 
・ずっと前から、よくしているたとえ話があります。
 「好きでやってるマージャンなら徹夜もできるのに、
 仕事でマージャンをしろってことになったら、
 絶対に徹夜なんかやってられないだろ」
 というものです。
 いまは、マージャンも流行らないし、
 徹夜もあんまりしている人が少なそうだけど、
 言いたいことはわかるでしょう。
 
 好きでやりたいことがある。
 やりはじめたらおもしろくなって、
 へたをすると命を削ってでもやっちゃうことがある。
 だいたい夢中になってやっている趣味というのは、
 ほとんどが、お金もらったらやれないようなことが多い。
 
 一方で、もちろんお金にもなるけれど、
 漫画家だとか、スポーツ選手だとか、音楽家だとか、
 お笑いの芸人だとか、役者だとかについては、
 どこかに「好きでやってる」趣味と
 似たようなところがありそうです。
 お金じゃそこまでがんばれないけれど、
 お金が入らなかったらやり続けられそうもない。
 そこらへんのバランスが、それぞれにありそうですよね。
 
 昔、レストランやら料理の評論をしている人が、
 「ぼくは中華だけは評論しないことにしているんです。
 ひとつぐらいは、評論しないで食べるものがないと、
 やってられなくなっちゃいそうで」と語っていた。
 
 なんだろうなぁ、いつまでたっても
 お金と仕事の関係についてはっきりしたことは言えない。
 じぶんだけのことなら、わりとわかっているんですよね。
 でも、こういう問題って、他の人がどう思ってるか、
 あるいは、おおぜいの人たちがどう思っているか、
 そういうことの「まるごと」がわからないわけです。
 絶対に、ひとつの考えにまとまることなんてないからね。
 だいたい、最初に例にひいた徹夜マージャンの話だって、
 「おれは、もともとそんなことしない」ってのもあるし。
 「お金くれたら徹夜くらい、よろこんでする!」もある。
 この混ざり方が、人の世の中ってことなんでしょうねー。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
夢中になるって「途中」でもあるし、「目的」でさえある。